佐藤ヒロユキ。仙台在住のMOD音楽職人(サウンドエンジニア&プロデュース/レーベルなどやってます)アナログレコード好き1963年生まれ。GROOVE COUNCIL代表。http://groovecouncil.jimdo.com/


by higemodern
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初めてRCサクセションをちゃんと聴いたのは、16歳のときだったろうか。
井上陽水のアルバム「氷の世界」でRCと清志郎の存在は知っていたが、レコードは持っていなかった。
宝島(懐かしい!)か何かで吉見祐子さんが、彼らのアルバム「シングルマン」を再発させる委員会のことを話しているインタビューを読んだのがきっかけだった。

同じ団地に住んでいたオノヨーコ似のお姉さんがそのレコードを持ってるらしいと聞き借りに走った結果、レコードは傷付けられるといやだからカセットテープでいい?とダビングしてもらったのだった。
「こんど加入するギタリストが、これまた素敵なんだよね〜」とも言っていた。
ラジオで何回か耳にした曲ではあったが「スローバラード」を聴いて何故だか涙が止まらなくなったのを憶えている。

その翌年には「RHAPSODY」が発売され僕もまわりの友人も夢中になり、ジョン・レノンの死を挟み、’81年には仙台郊外(スポーツランドSUGO)で開催された野外フェス「R&R OLYMPIC」に出演したRCを観て、完全にノックアウトされた。

19歳の時に武道館でのライヴを見に行ったときは(これは恥ずかしくて今まで隠していたが)、なんと専門学校の友人とド派手な服を着、友人は顔に濃いメイク(清志郎風)、僕は薄化粧に髪をパイナップルのように立てバンダナをし(チャボ風)出掛けたものだ(笑)

UK指向の僕がそんな風になるのだから、やはりRCの影響力は凄かったのである。

‘90年は前述した「R&R OLYMPIC」が10周年で、偶然だが僕は当時その主催側で仕事をしていて、何としても第1回目にトリを飾ったRCを出演させるべきだ!と社長に直訴。
レコード会社と事務所にオファーをしたところ、10周年だからとあっさり出演を承諾してくれた。

ステージでの第一声は「こんな山奥にようこそ!10年ぶりにやって来たぜ〜。R&Rオリンピック、ベイベェ〜」
フェス当日は観客は元より出演者(ジュンスカの和弥やグレリチのまもる、どんと、ロティカのあっちゃんなど)が大はしゃぎで、清志郎はフェスのしめくくりのセッションのホスト役も快く引き受けてくれて大いに盛り上がった。

僕は全体を取り仕切る役目だったのでバタバタしていたという理由もあるが、あまりの緊張に「よろしくお願いします!」だの「10年前も観ました」だの「お疲れさまでした。サイコーでした!」くらいしか言葉を交わすことは出来なかった。
(清志郎さんとは、あれが最後の会話になってしまった)

何だか前置きが長くなってしまったが、あれから20年。
まさかこんなチャンスが巡ってくるとは夢にも思わなかった。
先週末の「仲井戸~CHABO~麗市」との仕事のことである。

今年のはじめ、すでに事務所&イベンターサイドからオファーというか探りの電話はきていた。
還暦を迎えるCHABOさんが小さな会場で60本のアコースティックツアーをやるので、東北でのPAエンジニアを探していると。
君は仙台にいながら全国ツアーを回ったり、腕もなかなからしいし、各地に顔も利くようだね?と。

結果的には僕のスケジュールが他のツアーでNGになったり、その土地ごとの人たちとの交流も大事にしたいというCHABOさん側の意向もありラストだけとなったが、まぁ贅沢な時間を過ごすことが出来た。

再会の前日は、遠足の前の日の子供のようであった(笑)
さすがにCHABOさんが20年前に挨拶程度の会話しか交わしていない僕を憶えているわけはないので、何か一瞬で打ち解けられるものが必要だなと考えた。
サウンドチェックで使うCDにはストーンズを用意した。

そして悩んだのが当日着ていくTシャツだ。
自分でも笑っちゃうが、大の大人がTシャツ1枚で仲良くなれるものか?
でもCHABOさんなら!と予想していた。何か話題を探すより手っ取り早いはずだと。
ただ、それには反応してくれるモノじゃないとダメだ。

ストーンズは在り来たりだし、スライやビートルズも今ひとつ弱い気がした。
これだ!
選んだのはDr.FEELGOODのレアなTシャツだった。
昔のインタビューでウィルコ・ジョンソンのこと好きだと言ってた気がするし。
めっちゃ反応するかスルーされるか、僕なりの賭けだった(笑)

当日昼過ぎ、会場にCHABOさんが入ってくる。「おはよ〜」
イベンターが僕を紹介する。
「きょうPAをやってくれる佐藤ヒロさんと言って・・・」

その言葉を遮るように、満面の笑みのCHABOさんがグーで僕の胸をつついてきた。
「フィールグッドじゃん!どうしたの、これ?ウィルコ・ジョンソンのギター、カッコいいよね。ズズチャ、ズズ♪ってさぁ」と弾く真似をする。

今日はよろしくお願いします!という挨拶は、フィールグッドや鮎川誠さんの話でひとしきり盛り上がってからだった。

スピーカーのチェックでかけたストーンズのHot Stuffも喜んでくれ、鼻歌を歌いながら後ろのPA席にいる僕を指で作ったピストルで撃つジェスチャー。
いちいち様になっているからカッコいい!

リハが始まるときギターを担いでまず弾いたのは、ウィルコ・ジョンソンのフレーズ。
少年のようにニヤリとしながら、僕を見て親指を立てている。
失礼だが、とってもチャーミングだ。

CHABOさんと僕の、子供じみた音楽バカゆえの交流劇であった。

もともとそうなのか、一気に打ち解けたからなのかは分からないが、音に関しては任せるから好きにやっていいよ!と言ってくれ、とてもスムーズにリハが進んだ。
あの名曲のフレーズで、今日は曲のこと♪わかっていてくれる〜♪から楽でいいなぁ〜と言いながら、普段の半分の時間でリハを終えた(らしい)。

このツアーはベースの早川岳晴さんとCHABOさんの2人。
基本はアコースティックだが、ギター7本にベースが5本あるので、ステージは楽器で一杯だ。
曲によってそれらを弾き分け、何曲かはリズムボックスを使用する。

まだツアー中なのでネタばれしない程度にしか書けないが、とにかくショーアップされたライヴで、これぞエンターテイメントだ!と思った。
大きな会場でしか観たことなかったが、小さいところでもアクションは同じだ。
ギターはもはや楽器ではなくCHABOさんの体の一部と化している。

2人のアドリブはサイズが決まってないようで(いや本当は決まっているのかもしれないが2日とも違って聞こえた)、ノリに任せて弾きまくる。
アコギでも完全なるロックンロール/リズム&ブルーズなのである。

思い出のナンバーもちょっとだけ披露してくれ、客席は大合唱と涙に包まれる。
昔のエピソードを交えた感動的なMCもあった。

そして鳴り止まぬアンコールにこたえライヴが終わったのは、開演して3時間半以上過ぎたころだった。
ものすごいエネルギーではないか!

とにかく凄いとしか言いようが見当たらない。
上手いとかイイとかそんなんじゃなく、CHABOさんは「仲井戸CHABO麗市」という1つのジャンルなのだと実感した。

もはや伝統芸能のようなものとして捉えたほうが、いいのかもしれない。
それはストーンズがそうであるように、孤高のレジェンドとして輝き続けるという意味で、である。

東北ラストの福島でのアンコール、恒例のスタッフ紹介。
「僕がいまだにやれているのも、こうしてライヴをやらせてくれる店があって、それを支えてくれるスタッフがいるからです。みんなに紹介させてくれ〜。

お店の店長○○さん、ありがとう!またここでやらせてください。
イベンターの○○さん、楽しい東北ツアーになりました、ありがとう。
照明○○さん、いろいろ要望に応えてくれてサンキューでした。
楽器○○、いつもありがとう。もう彼はメンバーの1人です。

そして昨日の仙台も来てくれました。PAの佐藤ちゃん!ストーンズもいいけどフィールグッドもサイコーだよ。ズズチャ♪またPAやってくれよな〜」

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音楽の世界を志して30年。

単純な理由ではあるが、いろんなものが報われた瞬間だった。


またいつか会えるといいな。
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by higehiro415 | 2010-09-26 17:33 | 音楽