佐藤ヒロユキ。仙台在住のMOD音楽職人(サウンドエンジニア&プロデュース/レーベルなどやってます)アナログレコード好き1963年生まれ。GROOVE COUNCIL代表。http://groovecouncil.jimdo.com/


by higemodern
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想い(2011.3.11の記録)

3/11(金)pm 21:34
マグニチュード8.8(後に9.0に訂正)らしい。国内では観測史上最大の地震だというではないか。
ここ数日、不気味な揺れが何度かあったので「まさかなぁ〜」と思っていたらついにきた。
33年前の宮城県沖地震を体験しているので、ちょっとやそっとの地震では驚かないのだが、さすがに今回のはビビった。いや、まだ余震が続いているのでビビっているというのが正しい。
すでに震度1以上が60回を越えたようだ。

いま僕は仙台市の緊急災害対策本部(青葉区役所4階)に来ている。
大きく揺れた14時46分ころ、エフエム仙台2階にあるスタジオで番組収録をしていた。
「おっ、地震だ」と作業を中断すると、すぐに横揺れが非常に大きくなり「これはやばい!」とDJを机の下にもぐらせる。
スタジオは分厚い防音壁で覆われているのでそう簡単には壊れないだろうと瞬時に判断し、僕は機材が崩れ落ちないように押さえる。

立っているのもままならない状態だった。長く大きい揺れの後、追い打ちをかけるようにもう1度大きく揺れる。その後も連続で余震。
電気が消え自家発電に切り替わる。スタジオの外はフロアの人たちがただならぬ雰囲気で走り回っている。
生放送中だった定禅寺スタジオ(別の場所にあるサテライト)からの放送が困難になり、本社スタジオから緊急の地震速報に切り替わる。

停電のうえ携帯電話もネットもつながらず情報が寸断されたため、最新の情報を集めてスタジオに送るという重要な任務を背負い地震後すぐにここに来た次第である。

青葉区役所まで行く途中にある錦町公園や勾当台公園には、近所で働く会社員たち大勢が避難して集まっていた。こんな光景は見たことがない。
歩いて移動し対策本部のある部屋のすぐ外の廊下に陣取り情報を集めるが、本部内にはもちろん入れず、緊急事態のため本部からの情報整理も時間がかかっているようだ。
ドアから身を乗り出し本部内の監視テレビを見つめながら、部屋の中に響く状況報告を聞き取りメモる。

対策本部の誰かが「やばい!」と叫んだ。
NHKか自衛隊の監視カメラが捉えた、若林区名取側付近の津波映像がリアルタイムで映り、その場の全員が釘付けになり凍り付く。
海から襲ってきた巨大な黒い波が、広い範囲で車や家を覆い流し巻き込みながら、どこまでも陸地を内部へと進む信じ難いショッキングな映像。
不謹慎だが映画のワンシーンのようだった。それぐらい現実だとは受け入れ難い光景だった。
大災害になるなぁ〜と遠のく意識で自覚する。

いちおうパソコンを持参したが回線は緊急用しかなくメールが使えない。一般回線がパンクし電話での報告も不可能なため、走り書きしたメモを連れてきたアシスタントに渡しスタジオへ自転車で走らせる伝書鳩作戦にすぐ切り替えた。
寒さと降り始めた雪を恨むが、労力を要したお陰でかなり早い情報が流せているようだ。

家族や友人や同僚などは、ほとんど連絡がとれないまま6時間。気になって仕方ないが、これも使命なのだと思い、この瞬間を書き留めておこう。
緊迫感と恐怖感は半端無くあるが現実感はまだない。とにかく長い夜になりそうだ。

3/11その後
後輩が現場まで来てくれて、情報入手ルートも一部復旧したとのことで、とりあえず局に戻って欲しいと伝言される。
ため息をつきながら戻ると、繰り返し地震の情報と注意点を呼びかける緊急放送が続いていた。

何人かの他社のディレクター仲間がスタジオにいたので、ここら辺でお役御免かと思った。
弱小下請け(政治的に)である僕のチームは、少し前に制作費削減を理由に理不尽な担当番組降板が決まっていたので、これ以上何か頼まれることはないと予測していた。
しかし「いてもらうだけでもいいから、このまま手伝ってくれ」とそのままスタジオで夜を越すことになった。経験豊富な人が1人はいてもらわないと困ると、若手が直訴していたようだ。

緊急事態ではあるが、それでも複雑な心境だった。家も心配だったし、こんな時ばっか?という思いもある。
しかし所属会社は違えど不安な表情で頑張る若い仲間を目の前にしたら、彼らには何の恨みもないしこれまでも仲良くやってきたので、すぐに一緒に頑張ろうという気になった。
それにいま重要なのは県民にラジオで情報を伝えることなのだ。足下を見失っちゃいけない。

こんな状況ならラジオの仕事はもう卒業かなぁ?と考えていた矢先なのに皮肉なものだと思いながら、同時にこの仕事をしていたことに感謝する。
取り急ぎ一度家に戻り状況を確認したかったので、停電で真っ暗な街を歩いて帰宅。
部屋は食器が割れタンスが倒れ足の踏み場もないが、ギターとレコードだけは無事のようだったので、着替えを持ちすぐに局に戻る。

空を見上げると、普段は見たことがない数の星が輝いていた。電気がないと街中でもこんなに星が見えるんだなぁ〜と感心する。綺麗だった。

3/12(土)
一夜が明け局内は少し冷静さを取り戻していたが、余震は続き、テレビ(自家発電で駆動)に映る映像を見るほどに絶望感が蔓延する。
非常食や差し入れのお菓子など食べながら、交代で緊急放送を続ける。
この状況と土日ということもあり、スタッフはいつもの半分以下であろうか。

身近な家族や友人は無事だと確認できたが、なにせ電話もネットもまったくつながらず、どんな状況になっているのかわからないまま時が過ぎる。
不安ではあるがとにかく今は目の前の情報を流し続けるしかない。全区域が停電なのだから自宅や外や車や避難所で、携帯ラジオで情報を得ている人も多いはずだ。

昼になって街中(中心部)の状況を自分の目で確かめに行った。
壁などの欠損はあるもののほとんど倒壊などはなく、店などがすべて閉まっているのと、駅前に昨夜帰れなかった避難者が1台もいないタクシーを待ってあふれ、あちこちの公衆電話に長蛇の列が出来ていたのを除けば、とても平和に見える。被災地とのギャップに愕然とする。

放送を続け夜になり、居残ったディレクター陣と話をする。
このまま情報を流しているだけでいいのか?他に何か出来ることはないのか?
地震発生から24時間以上経ち、自分たちと同じように精神的疲労がつのっている人たちがいるはずだから、情報の合間にちょっとだけでいいから音楽をかけてはどうだろう?と提案する。
危機的ニュースばかりが目の前を覆い、何より僕自身音楽で心を休めたかったのもある。

参謀役に伝えると、当たり障りのない曲ならいいだろう。ただインストとかスタンダードなものに限定して曲紹介は不要(BGM扱い)、ディレクター判断でとのこと。
まだ時期尚早なのかもしれないけれど報道ならNHKと東北放送もあると思いながら、自分での判断となると逆に思い切ったことができにくく、みな考え込む。

音楽をかけたほうがいいという者もいれば、クラシックならいいんじゃない?とか、情報だけでいいという者もいる。現場でも少しずつではあるが、温度差が出始めてきた。系列のTFM(東京エフエム)の特番ネットは、少しずつインストナンバーが流れ出してきた。

ようやく友人たちの安否確認メール(もちろん前日の発生直後のやつだが)が断続的に届くようになってきた。
東京のミュージシャン仲間や全国の友人からも無事か?メールをもらっていたが、なんせ送信電波がままならず心配をかけてしまった。Twitterでも多くの方達に心配をかけていたようだし、申し訳なかった。
皆からのメールを見ながら、その想いも一緒に被災者や街の人に届けたいと思い始める。

3/13(日)
ようやくポツポツと寄せられはじめた個人的なメールから、やはり音楽はあったほうがいいのではないか?という思いが強くなり、1人のディレクターと結託し午前中からほんのわずかだが音楽をかけ始める。
かける曲はその場にいたディレクター全員に2曲ずつ選んで持ってきてもらった。

電気が少しずつ復旧してきて、ようやく被害の大きさに気付いた人も多くなってきたようだ。
街中を偵察に行くと、一部コンビニやドラッグストアが食料品などを店頭販売していて、長蛇の列があちこちに。
列に並ぶ人たちの表情は疲れてこそいるが、どこか安堵したようにも見える。

明日からは特別番組ながら従来の番組編成時間とスタッフでのシフトになるとのことで、シフト時以外は責任とれないから手伝わなくてよいという都合のいいお達しがあったが、ようやく一息つけるかと思うとホッとする。

しかしすぐに、明日の朝イチ、人手が足らないから担当して欲しいとのヘルプが舞い込む。
やるしかないが下請けだから引き受けたのではない。仕事という認識はもはやないのだ。
単純にラジオを聞いて誰かに元気になってもらえるなら、それでいいと思う。

情報以外、こちらで選んだ一方的な曲より何かもっと意味のあるものはないか?と考える。
Twitterで知り合いのミュージシャンに激励コメントとリクエストをもらおう!と思い付いた。
しかしここでも温度差はあり、全体の公式企画になるには残念ながら僕の力が足らなかった。

いまやるべきことではないとか、いまそんなことする余裕がないとか、面倒だとか理由はいろいろあるだろう。でも僕は、リスナーではなくスポンサーやお偉いさんに向けた放送に興味はない。単独で自分のTwitterにツイートした。
「これを見たミュージシャンの方々へ。どこまでやれるかわからないけど皆さんの一言激励コメントとリクエスト曲寄せて下さい!明日朝からエフエムで流してみたい。」

即座に仲間が反応してくれて、その後続々と激励リクエストが寄せられた。嬉しかった。
誰かに何か言われようとも絶対オンエアする。多くの人が応援しているのを伝えたいのだ。
様々な方が呼びかけてくれたおかげで、多くのメッセージが寄せられた。感謝!

3/14(月)
震災の事態は良くなるどころか、時間の経過とともに各地の悲惨な状況が明るみになる。大勢の人が安否不明で、孤立して寒い暗闇の中で救助をひたすら待っている人もかなりいる模様。
ニュースは悲しく不安になるものばかりで、無事だった人たちさえ暗い表情だ。

決心どおり昨夜寄せられたメッセージとリクエストを流す。問題が生じたらきっぱり担当を辞める覚悟で臨んだ。
地震による緊急特番が始まってから65時間、はじめて温もりあるメッセージとポジティブな音楽がオンエアされた。僕自身も癒され希望が湧いた。
これが口火になったのか被災者や避難者からも聞きたい曲のリクエストが、無事だった人たちから応援リクエストが続々と届きはじめた。

本当にやるのか?勝手にやって上から怒られないか?と半信半疑だった番組のスタッフやDJも「なんか元気出るしホッとする。いいね」と顔が緩んだ。
それでも声高らかに便乗してくれるスタッフはごくわずか、でもそれでいい。
内心、聞いてる人にとって本当にいいことなのか?という迷いもあり、放送を聞いた方々からの反響が大きかったのは、とても励みになった。

ここ数日、いや数日というほどには時間は経過していないが、いま自分は何をするべきか?と、ずっと考えていた。何もしなくてもいいのだろうが、何かやるべきだと心の奥が鳴り止まなかった。
どういう運命か、自分はいまここにいる。何か役割があるはずだ。

これまで世界中の多くの場面で、音楽が人々に勇気と希望を与えてきたことを忘れてはいけない。自分もその中の1人で、そのおかげで今の仕事をしているのだ。
この事実を信じて行動しなければ、他人への声援など到底届くはずはないだろうし、それが出来ないなら音楽の仕事など辞めちまえ!と自分を叱咤する。

スタッフや同じ放送人でも様々な意見や考えがある。リスナーとなれば、それはもっともっと千差万別だろう。
事実、避難所には音楽が好きな人ばかりではないのだからバカな真似はやめろ、と忠告してくれる方もいた。確かに一理ある。
でも、一方では張りつめた緊張と疲労を紛らわせるために音楽が聞きたい!と感じている人がいる。被災者や避難者からのそんなメールが多数あった。

要するにどっちもどっち。どちらが正しいとかではなく、今はああだこうだ言う前にやれることをやるしかないのだ。
とやかく言う連中は大概が口ばかりで、自分では行動しないし責任も取らないことを経験上知っているので無視することにした。
100人を元気づけられなくとも2〜3人は出来るかもしれない。何もしないよりいい。

状況的には先を考えると暗くなるばかりだが、幸運にも体は無事なのだから前を向いて明るく立ち向かおう。

3/15(火)
東北〜関東で余震が続く。仙台は真冬のような寒さだ。
試されてるのかもなぁ〜?と思い至る。大自然は予測不可能とはいえ、地震・津波・原発・季節外れの寒波とダメージが大きすぎる。
偶然というよりは、何か地球からのメッセージと捉えたほうがしっくりくる。

仙台市内では多くのコンビニやスーパーが店を開けはじめ、ガソリンスタンドは異常な行列となっている。
僕自身、買い置きしていた食料も徐々に減ってきているしガソリンも必要だが、何時間も競うように並ぼうとは思わない。困ってる方はお先にどうぞ。

一見活気が少し出たようにも錯覚するが、仙台市内ではコンビニ強盗や、被災した車のガソリンやアルミホイルやカーナビなどの窃盗が相次いでいる。良いとは言わないまでも食料やガソリンは生きるためにやむを得なかったのかもしれないと信じたい。
しかしアルミやカーナビは違う。単なる窃盗犯だ。

現に調査員などを装って一人暮らしの女性宅を襲う輩や、営業停止の会社からパソコンが盗まれたりもしている。
警察は震災で手薄になっているし、被災ではないので報道もされていないが事実なのだ。押さえようのない怒り、いや、切なさを感じる。

仙台市内は一部を除けば被害は少ないし、役所や県庁が機能してるから何とかなるはずだ。他人のことより自分のことを優先するのは悪いことではない。みんな生き延びなければならない。
でもさ、何キロか離れた場所ではあれから何日も寒く暗く空腹の数日を送っている人がいるんだ。元気な人が頑張っていかなきゃならないのに行列で怒鳴り合ったりいがみ合ったり。まだ切迫していないのなら少し我慢してもいいんじゃないのかなぁ。
復旧はこれからまだまだ先になるだろう。助け合っていかなければ無理なのは明白なのに。いつかそんな人たちも困るときがきても、誰の助けも借りず1人で頑張ってね。

3/16(水)
エフエム生放送のあと、中断を余儀なくされていた幹ちゃんのアルバムのMix作業を再開。こんな時期に頑張ってスタジオを復旧してくれた磯村氏に感謝だ。
これまでは2人で分担してMixしていたが、スタジオの倉庫兼事務所がぐちゃぐちゃなので、Mixはほぼ僕1人で作業し、その間に磯村氏には片付けを優先してもらっている。

アルバム制作は締切りが過ぎ、マスターを運送できるかどうか、そして工場がいつものようにプレスしているのかなど不確定要素も多く、発売延期は致し方無しとしで落ち着いたら再開しようと思っていた。
それでも、日々のやるせない状況を見るにつれ、幹ちゃんのアルバムを心待ちにしている人もいるし、こんな状況にフィットする曲もあるので、今だからこそ作らなきゃ!と感じている。
いろいろな意味も含んだアルバムになるだろう。あと3日くらいで仕上げたいなぁ。無理だと思うが。

夕方、親友よりメールがくる。その内容にさすがに狼狽する。
若かりし頃ずっと一緒にバンドを組んでいた友人が、名取市で遺体で発見されたというのだ。
泉区に住んでいたのに、どうして?と、目を疑う。

建設会社で工事現場の現場監督をしていた彼は、あの日、名取の現場で作業していたようだ。
作業員たちを避難させている間に津波にのまれたらしい。そんな・・・
言携帯電話を握りしめたまま号泣した。借りっ放しのギター、返せなくなっちまった。
それに残された家族のことを思うと、いたたまれない。

部屋がぐちゃぐちゃになり食器が割れ、ガスが復旧しないので風呂に入れず、いつも機材を運んでいた車が流されただけの自分なんて、本当にどうってことない。まったく無傷だ。
あいつの分まで、明るく力強く前に進んでいくしかないと、あらためて心に誓う。
悲しいし悔しいけれど、無事で元気な自分がへこたれてどうする?あいつはいつだってブルースを追い求めていたじゃないか。

3/17(木)
ようやく東京でもラジオでミュージシャンからのメッセージを募集し始めたと聞く。規模や影響力が大きいので多くが集まるだろう。宣伝に利用されないことを切に願う。
そろそろ僕は次のステップへと移る頃なのだろう。

いつもなら考え過ぎて躊躇してしまうようなことでも、こんな時だからこそしがらみや雑音に迷わず思い切ってやれる状況でもある。ちょっと勇気を出すにはもってこいなのだ。こういうどさくさにまぎれては許されていいだろう。

くだらない常識紛いの批判とか、保身やエゴによる足の引っ張り合いとか、偽善とか私欲とか、そんなことは邪魔なだけで何の役にも立ちやしない。

僕の住む宮城県だけではなく、今回はいくつもの県が被害(原発も含め)を出している。
自分の身近なところを見ていれば想像がつくが、各地、あまり報道されていない被災地区や避難者がいるはずだ。
とにかくなんとか全ての地区に救助や物資がゆき渡り、1人でも多くの人が助かることを祈るしかない。


ちっぽけだけれど、今の僕には顔を上げてひたすら行動することしか出来ない。
微力すぎて大きいことなど出来やしないのだから、まずは目の前の小さな一歩だ。

外は真冬のような雪景色だ。
でも恨むまい。明日も笑顔でいよう。

春はきっとやってくるはずだ。
by higehiro415 | 2011-03-18 02:10 | 日記