佐藤ヒロユキ。仙台在住のMOD音楽職人(サウンドエンジニア&プロデュース/レーベルなどやってます)アナログレコード好き1963年生まれ。GROOVE COUNCIL代表。http://groovecouncil.jimdo.com/


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カテゴリ:物語( 9 )

小説・アナログレコード

◆帰国
久しぶりの仙台は以前よりどこかキラキラしているように見えた。いや、わずかな間にそう街が変わることはないから、実際に何かが変わったわけではないのだろう。気持ちの変化というやつは人の視覚をも変えるのだと、音羽金也は感心する。

ロンドンから戻りまず金也が最初に顔を出したのは、それまで勤めていた小さな音楽イベント制作会社だ。リフレッシュしてまた戻ってこいと社長に言われていたが、はっきりと「他のことをやろうと決めました。すみません。」と伝えた。他のことなど本当は決まっていなかったが、これまでと同じ仕事はしないと決心していたので、まぁ大きな間違いではない。

金也が東北ツアーなど担当していたバンドは、彼が辞めると聞きつけて「いいバンドばかりなので後は僕が頑張ります。譲って下さい!」と頭を下げにきた別会社イベンターの若手Sに譲ることにした。もちろんバンド側の事務所には事情を話し、了承してくれたバンドだけだが。
贅肉少年隊、Theパーズ、Mr.子供、ペロウズ、J(Z)W、The収集家達、ブ・ニャンボス、怪しげ人形などなど。後にSは東北が誇るビッグ野外フェスを成功させていくことになるので、金也の判断は間違っていなかったのだろう。

これまでの仕事は演奏者とオーディエンスを仲介する役割ではあったが、やはり演奏者側に視点が寄っていた気がした。向こうで、つまりロンドンで音楽への情熱を取り戻した金也がこれから進もうと考えていたのは、もっとオーディエンス側に近いストリート(街)に密接に関わる場所だった。
そういう意味では復活という表現よりは、再出発といったほうがしっくりくる。もちろんこれまで習得した技術やコネは全部捨てる覚悟だった。むしろゼロから新しい道を切り開いていくほうが性に合っているし、それが彼の生き方でもあった。

だからといって5年間付き合った彼女との仲までゼロにする必要があったのかは疑問だが、こうと決めたら相当に頑固な金也だった。もしかすると30歳になり新しいキャリアをスタートさせることに精一杯だったからかもしれないし、不安定な人生に他人を付き合わせるのは悪いと思ったからかもしれない。でも本当は自分以外のものを背負う余裕も器の大きさも、この時の金也には無かっただけの話なのかもしれない。


◆直感
電話のベルが鳴る。薄いグリーン色の電話機に接続されているカセット留守電レコーダーが、カチャンと作動する。今後進むべき道の具体策を考えていた金也は電話に出るつもりなどなかったが、留守電レコーダーのスピーカーから聞こえてきた馴染みのある声に反応し、慌てて受話器に手を伸ばす。前の会社で発行していた東北の音楽雑誌Hard Onの編集長Mさんからだ。

「もしも〜し、金也です。すんません、電話に出るの遅くって」
「あ〜なんだ、いたんだ。良かった」
「どうしたんですか?」
「柳町通りにある楽園レコードって知ってるよね?あそこのオーナーっておれの同級生なんだけど、中古レコードを海外で直接買い付けしてみたいから誰か手伝ってくれる人いないか?って言うのよ。金也くんなら音楽詳しいしレコードマニアだし海外もOKじゃん?」
「へぇ〜、面白そうですね。中古ってのが、またいいじゃないですか」
「やってみたいなら紹介するよ。かなりの偏屈オーナーだけど、笑」
「見た感じはただのマニアックなおっさんですけどね、笑。話きいてみようかな…」

「なら話は早い。向こうは金也くんに興味あるみたいで、もし興味あるなら即採用だってさ」
「ほんとですか!?じゃあ挑戦してみます。音楽の良さをダイレクトに伝えられてシーンをバックアップできる末端の仕事、何かないかなぁと思ってたんですよ。クラブだってそろそろ仙台に出来てくるだろうし、仕事で海外に行けるなんて最高じゃないですか!」

「お〜、相変わらず決断が早いね〜。得意の第六感ってやつ?」
「もちろんです。直感ですよ、直感!」


◆楽園レコード
金也はまず店舗で在庫を把握し、来店する顧客のニーズを探ることから始めた。
楽園レコードは仙台・一番町の南はずれにあり、流れの客ではなく何か目当てのものを探しに通う人がほとんどの店だった。偏屈オーナーは60年代のギターインスト(ベンチャーズなど)の大家で、北関東全域からマニアが集まって来る。

他にもフィル・スペクター関連のものやビーチ・ボーイズやビートルズなどのアナログ盤が、各国盤、オリジナル盤、再発盤と大量にあった。もちろんレアな60年代のブリティッシュビート系、アメリカンルーツ系やカントリー系の在庫も多数あり、暇な時間には音の違いを聴いてみたりレーベルの勉強をしたりデータを覚えたりに没頭する。

金也はもともとレコードのデータや逸話を覚えるのが好きだった。例えばビートルズのアルバム「Rubber Soul」は1965年12月3日にリリースされ、英盤と米盤では収録曲が違うとか、Let It BeとストーンズのBlack and Blueは同じエンジニアが音を作っているとか。
そういう雑学に加え、○×年のあのアルバムは○×がプロデューサー、ギターで○×が参加、オリジナルは○×レーベルでレコード番号は○×であるとか、ほとんどオタクのような研究ぶりで役に立たない知識を増やしていく。自分が関わるものを詳細に把握しておきたい性質なのだろう。

この熱心ぶりを学生時代に生かせていればなぁ〜などど、金也はまったく思いもしない。好きなことは好きだし、嫌いなことは所詮嫌いなのだ。それでいい。

当時の仙台では輸入モノのレコードはもちろん売られていたが、ほとんどアメリカへのメールオーダーで、頼んでも本当に届くのかどうか怪しいものもけっこうあった。直接買い付けで仙台の音楽事情も変わるのではないかと金也は予測していた。

市内のレコードショップ(新品、中古、輸入)を調査してみると、邦楽やジャズ系やロック系はそこそこ手に入る環境だったがソウル系やブラジル系やMODS系は少ないとわかり、今後クラブムーブメントが仙台にもやってくることを見越して、それらのレコードを集める必要があると感じた。同時に、再発アイテムも増えていたので積極的に新品も輸入したほうがいい。
もちろん金也自身のレコードコレクションも増やしたいと、唾を飲み込み目を輝かせていたのは言うまでもない。


◆L.A.
ロスアンゼルス空港は初めてだけど、やっぱりデカいな。まずは大きめのボックス型レンタカーを借りに。お〜、車もデカい。よっしゃ、2週間あちこちでいいレコードを買い漁るぞー。

アメリカには何のコネも土地勘もないから、まずは大きなスワップミート(蚤の市、フリマ)へ。これは古着屋の知り合いから仕入れた情報。山のような古着コーナーとは別に大量のレコードもあると聞いてたけど、こりゃ何とも言葉では言い表せないな。すげぇ!その一言だ。
テント1個分の各出店者がゆうに100ブース以上、どこまで行っても中古レコード。業者もいれば個人もいるけど、好きなものに囲まれるってのはホント至福だ〜。

でもゆっくり選んでる暇はないな。2週間で3000枚が目標だから、ここで1000枚は買いたいぞ。なかなか難儀だ。ジャケットと中の盤質もきちんとチェックしなくちゃ。なんせ日本は綺麗好きだし、中身が違ってるってのはよくある話だし。内容がわからないものはプロデューサーや参加ミュージシャンやレーベルをみて勘で買おう。
面倒なのは会計だ。良心的に1枚ずつ値段が貼られているブースは5%くらいか。あとは交渉次第。日本人の金持ち買い付けマンと思われぼったくられないように用心、用心と。

ふぅ〜、なんとかいいの沢山買えたなぁ。明日からの情報もゲットできたし。現地の人に訊いて回るのが一番効率的だよな、たぶん。さてサンタモニカ経由でホテルに戻るか。今日のレコード、仕分けして段ボールに詰めなくちゃ。

毎日毎日レコード屋にリサイクルショップに個人収集家のガレージ、観光などしてる暇ないね。こっちのレコードショップにはCDとアナログ盤とカセットテープまであるんだなぁ。仲良くなった店員に聞いたら、カセットプレイヤーしか持ってない人も沢山いるからってさ。音楽聞くのに貧富の差が出るなんて考えたことなかったけど、いいよな、そういう考え方。ちょっと郊外に行けばレア盤も普通の値段で売ってるし、アメリカの底力を感じるね。

あとはFM局のチャンネルがすごい多くて、SOUL専門とかJAZZ専門とかってたまらなくいいね。勉強にもなるし好きなジャンルの音楽を一日中聞き続けられるなんて、最高じゃん。日本もこんな風にならないかなぁ〜。


◆DJ
東京から少し遅れて、ここ仙台にもクラブムーブメントなるものがやってきた。市内にはいくつかCLUBも出来始め、同時にカフェブームとともにフリーソウルなるものも流行の兆しをみせていた。
そんなタイミングの良さもあり、金也がアメリカ(L.A.)から仕入れてきたレコードは飛ぶように売れた。ほぼ全てのレコードを聴き一言コメントを書いたのも功を奏したのかもしれない。
DJをやる者はもちろん、カフェのオーナーやトレンドに敏感なリスナーらが新しい顧客となった。まだCD化されていない音源も多かったし、敢えてアナログ盤をという人も多かった。

のちにデビューする在仙の音楽フリークも通ってきてくれた。FreeTempoやGAGLEや夜光虫の面々。山上達郎氏が次の買い付けで○×探してきてくれと電話くれたり、マーサーや二宅伸治氏もマニアックなレコードを探しに来てくれた。大西康陽氏に至っては金也がロンドンでゲットし店に貼っていたThe WHOのビッグポスター(私物)をどうしても欲しいと言い張り、根負けした金也から奪い去っていくなんてこともあった。

バンドを解散した金也はDJとして仙台の音楽シーンに復帰した。もともとクラブという呼び名がない頃から友人の飲み屋でのパーティーなどでレコードをプレイしてきた。はじめは趣味的なものだったが、DJの後輩が「そんなにレコードも持ってて音楽知ってるならやったほういいっすよ!」と金也をそそのかしたのがきっかけだ。

オープン前から相談にのっていたライヴハウスMCNのオープン当初は、まだライヴで埋まらない平日スケジュールをDJ仲間達と週3〜4回カバーしていたこともある。そして週末には幾つかのクラブに通う日々が続く。

金也のDJスタイルだが、良くも悪くもジャンルを感じさせなかった。60’s MODSから80’s Neo MODS、UK Rock〜PUNK〜New Wave、American BluesやSoulやJazzから70’s邦楽までを往き来する。バンドで培ったテンポやキーやライヴ感を重視したDJスタイルは、フロアで踊っているキッズ&ガールズよりも、むしろ店員やDJに好まれていたようだ。ロンドンで修行したことで多少は磨かれたのかもしれないが、まぁそんな感じだった。


◆ギャップ
3年が経ち楽園レコードは定期的な海外買い付けが起爆剤となって東北に6店舗を持つようになり、商売的には順調に見えた。しかしオーナーと金也の方向性の違いは日に日に増していくことになる。
店舗の拡大路線を押し進めるオーナーに反して、金也は逆の想いを抱くようになっていく。

手を拡げれば拡げるほどレコードファン1人1人にきめ細かいサービスが難しくなってきているのを肌で感じていたからだ。サービスとは言ってもとりとめのない音楽の話や、お勧めのレコードを心行くまで試聴してもらったりするだけなのだが、それが良かったのだと金也は考えていたし、お客から仕入れる情報にはとても価値があったのも事実である。

そしてもうひとつ。DJ流行りやフリーソウルの影響もあり、多くの人がアルバムではなくその中の1曲を求める傾向が強くなっていた。金也自身も知らず知らずのうちに躍起になって、隠れた名曲みたいなものやレアなものを追うようになる。それにハタと気づいた時、自分が志していた音楽のベクトルや好きなミュージシャンへのリスペクトを蔑ろにしているのではないかと、自責の念にかられたのだ。

もともと自分はアルバム指向だったではないか。曲のバラ売りは、あくまでアルバムへと導くための手段だというのを忘れちまったのか!?こんな売り方じゃ、その音楽は一過性のものとして消耗され忘れ去られるだけだ。一度初心に返るべきだ!と金也は悟った。


◆名盤
例えば全8曲入りアルバム(アナログ盤)の場合。

A-1.アルバムの色彩(コンセプト)を決定づける印象的な曲。
A-2.流れをさえぎらず次にうまくつながる何気なさを持ってるやつ。
A-3.バンドの幅を感じさせる意外性のある曲。
A-4.一度落ち着かせるために聴かせるバラードとかね。

針を上げ、盤を裏返し、また針を落とす。

B-1.アルバムの裏テーマになりうる渋めの曲。
B-2.ちょっと変化球的なものや変わり種だったり。
B-3.ラス前にしっとりとバラードなどいかが?
B-4.ストレートでバンドカラーが濃い曲。

曲そのものの善し悪しもあるが、それ以上にストーリーを感じられるものが名盤と呼ばれる。
ちなみに金也はA-2やB-1に配されるナンバーに好きなものが多かった。


車のフロントガラスに厚い霜が張り付くような凍てつく寒さのある冬の日、意見の食い違いからオーナーと大喧嘩になった金也は、次なるステップへのストーリー性を無視してカットアウトを宣言する。
それは例えば、つまらないアルバムに飽き飽きし、B-2で耐えられなくなり途中で針を上げるような、そんな感じにも似ていた。

人生は「名盤」のようには、なかなかいかないもんだなぁ〜。
外に出て冷たい天を仰ぐ。濃いめの鉛色の空から、はらはらと小さくて軽そうな雪が落ちてくる。目を瞑る。頬に当たってすぐに溶ける感覚を確かめながら、雪は雨よりちょっとだけ感触が優しいかもなと金也は思う。



続く・・・
by higehiro415 | 2011-04-16 00:39 | 物語

小説・The Sound is Golden

◆Time Out

「ハロー、フレンド。今日もCod&Chipsかい?」
「ハイ、ムラト。この半月あちこちで食べてみたけど、ここのCod&Chipsはホントlovelyだよ」
「まあな。でもToad in the holeも美味いぞ」
「Yorkshire puddingの生地にソーセージぶち込んであるやつだろ?それって。なんか見た目がイマイチなんだよなぁ〜。いいよ、いつもので」
「はいはい、わかったよ」

Londonに着いたあの日、何気なく立ち寄ったVictoria Coach Station近くのファストフードレストランが(いや正確に言えばその店のフィッシュ&チップスが)気に入った音羽金也は、午前中の英会話学校の授業のあと、ちょくちょくここを訪れるようになっていた。
店員のトルコ人・ムラトとは、彼のなつっこい性格もありすぐに打ち解けた。

「ところで、最近面白いこと何かあったか?」
「うん。ダブルデッカーにハマってるよ。ワンマンじゃなく車掌付きのやつね」
「え?バスにハマるって、どういう意味だよ?」
「車掌付きだと、バス停じゃなくても飛び乗ったり飛び降りたり出来るじゃん。あれが楽しくてさ。日本じゃ絶対あり得ないよ。危険だとか問題になってすぐに禁止さ。どこでも降りられるなんて便利だよなぁ」
「ロンドンだって危ないって問題にはなってるんだぜ」
「でも推奨してるわけじゃないんだし、自己責任ってのが大人の国って感じするよ」

「ところで珍しいな、Time Out持ってるなんてさ。映画でも観るのか?」
「いや…実は一緒に行きたいなぁ〜と思ってさ」
「どこに?」
「カムデンにあるTown & Country Club」
「マジ?何があるんだい?だって確かそこってさ…」


◆Wateloo Sunset

Londonに来て2週間。金也は初めてTime Outを手にした。地下鉄駅のコーナーショップ店長・エドワードに、ライヴ情報ならTime Outだぞ!と聞いていた情報誌だ。

はじめは今ロンドンでどんなギグがあるのか眺めるつもりでページをめくる。ハマースミス・オデオンやロイヤル・アルバート・ホール、100 CLUBやMarqueeといったライヴハウス、LimelightやWAGといったCLUBまでものすごい量のライヴ情報がぎっしりと掲載されている。

金也は少しずつしかし確実に、胸の奥のほうがムズムズとしてくる衝動を抑えるのに苦労する。
別にこの間ナズローさんに痛いとこ突かれたからというわけではない。いや、それも半分くらいあるのだが、あとの半分は禁断症状のように音楽に触れたくなっている。

Lower Richmond RoadにあるHalf Moon Putneyという、テムズ川を渡ったロンドン南西部にある場末のライヴパブ。確かボ・ディドリーやヴァン・モリスンも出演したことがあると以前何かで読んだ。その予定欄にWilko Johnson Trioの名前を見つけたときは、本当に心臓がバスドラムのビートのようにズドンと鳴った。

そして決定打はその何ページか後のTown & Country Club(現London Forum)のスケジュールにPaul Wellerの文字が目に飛び込んできたときだ。ビートがどんどん早く強くなり、バスドラムの革を突き破り中からは大量の水があふれて止まらなくなる。そんな感じだった。

次の日フィッシュ&チップスを食べつつ、ムラトをP.Wellerのギグに誘いに行った。音楽解禁を1人で迎えるのが怖かったからだ。しかし2日後ということで店のシフトを変えることが出来ずに、ムラトには丁寧に断られた。
当日までおとなしく待つことはもちろん無理だった。あふれ出てきた水は留まることを知らず、いわば蛇口の壊れた水道のようだ。

食後のオレンジペコーを飲み干すと、金也は迷わずAbbey Roadに向かう。もちろんあの横断歩道とEMIスタジオを見るためだ。裸足にこそならなかったが横断歩道をスタジオ側から向こう側に渡る。
そのままCavendish Ave.まで行き、65年〜レコーディング期間中メンバーが寝泊まりし、ジョンとポールが曲作りのアイディアを出し合っていた別荘風の邸宅へ。
そこからバスでBond Streetまで行きManchester SquareにあるEMIハウスを見る。ビートルズのPlease Please Me、そして赤盤・青盤のジャケット写真が撮影されたビル。中には入れなかったが、ここの吹き抜けの手摺から顔を出し下を見る4人のことを想像してみると、不思議な感覚に襲われる。

気が付くとそろそろ夕飯に帰らねばならない時間になっている。ナズローさんとの約束は、まだ一度も破っていない。他の場所にも行ってみたい気持ちを抑え、チューブに乗り込みClapham Southへ戻る。本屋で見つけたLondon’s Rock Landmarksというロンドン市内のロックにまつわる名所ガイドブックを読みながら。

明日はWaterlooに行って夕焼けでも見たいなぁ〜、などと金也は思い描く。


◆Into Tomorrow

カムデンの駅を出てKentish Townへ歩き出したところで、声を掛けてくる男がいた。ジーンズにニットとダウンジャケットを着たその男は、見た目は普通で年齢は金也より少し下、25歳くらいだろうか。
「ポール・ウェラーのチケットあるよ」
「要らないよ。当日券買うから」
「もう売り切れてるよ」
「うそ〜?窓口で確認してみる」
金也は小走りでライヴ会場のTown & Country Clubまで行き、チケットカウンターの前で肩を落とす。確かにさっきの男が言っていたのは嘘ではなかった。Day Tickets, Sold Out. Sorry !と書かれた貼り紙を何度も確認する。

冷静になろうと隣のカフェに入ろうとしたら「ほらね」と声を掛けてきたのはさっきの男だ。
「どうする?俺からチケット買う?」
「ついてきてたの?ちなみに、いくら?」
金也はこれまでダフ屋からチケットを買ったことはない。しかしどうしてもライヴを見たかったのと、目の前の男が日本のダフ屋では考えられないほど普通で、悪そうな奴には見えなかったのが幸いだった。

「もう残り少ないし1階アリーナだから60ポンドでどう?」
「え〜!3倍じゃん」
「そりゃそうだよ。貴重なチケットだもん。プレミアってやつさ」
「じゃ要らないよ。そんなにお金持ってないし」
「日本人だろ?金ないわけないじゃんか。ロンドンまで旅行に来ててさ。それに昨日あんたのこと見かけたよ。Sohoのレコードショップでさ。偶然だけどね」

金也は昨日、Victoriaの裏通りにあるキース・ムーンが昔住んでいたアパートとTottenham Court Roadの伝説のクラブUFO Clubの跡地、それからModsの聖地Carnaby Streetをブラリとしたあと計画通り夕方にWaterlooへ行った。その後OASISのMorning Gloryのジャケ写が撮影された通りにあるレコードショップへ確かに立ち寄っていた。

「マジ!?ただし僕はレコードを買っていないし旅行者でもない。残念ながら」
「じゃレコードもチケットも買えない貧乏苦学生だとでも言うのかい?」
「その通りだ!君は察しがいい。ちなみに今の全財産は…」
金也はポケットに手を入れ有り金を取り出し、男に見せた。25ポンドだった。
「そうかい。わかったよ。じゃ今日のチケットはあきらめるしかないな」

男は他のターゲットを探し始めた。金也は駆け引きに負けたとガッガリする。違うポケットを確認するとあと50ポンドあった。財布に全額を入れておくと札を出す時にいくら持っているか見られるから気をつけろ!というムラトの忠告で、最近は財布を持つのをやめズボンの前後のポケットにお金を裸のまま分散させていた。
見た目は普通でもやはりダフ屋はそう甘くないな、と思いながらカフェでアールグレイTeaをすすりながら、さてどうしたもんか?と次の作戦を頭の中で練っていた。

30分くらい経って、誰か一緒に来る予定だった人が来られなくなりチケットが余っている人がいるかもしれない!と、また会場の正面入口のところへと戻る。
「まだあきらめないのか?」あの男がまた話しかけてきた。
「そりゃそうだよ。ウェラーっていったらThe Jam、The Style Councilとず〜っと聴き続けてきたんだ。ある意味ビートルズ以上の影響だよ。しかもこのホールは雑誌のインタビューで好きなホールだと言っていたから、いいライヴになるに決まってる。しかもムーブメント以降ソロとしては初のロンドンでのギグだ。見逃したら今後いつまでも後悔することになる。今日はウェラーが通っているという床屋だって見てきたんだ」

「あんた本当に好きなんだなぁ。でもって金がない日本からの苦学生ねぇ…」
「いや、さっきはごめん。苦学生ではないんだ実は。ただの自分探しの旅で、今日から音楽を解禁しようと思ったんだ。金も本当は75ポンド持ってる。嘘ついて悪かったね。ただ、今そんなに使うのは明日からの暮らしに響くから躊躇した。こっちにいる間しばらくは収入ないし」

すると男は金也を手招きして通りの裏のほうへと連れて行くと、こう言った。
「さっき全財産だと言った25ポンドで譲るよ。ボスにみつかるとヤバいから黙ってろよ」
「え??」意味が飲み込めない。

「この仕事してて正直にそんなこと言ってくる奴に初めて会ったよ。あんたからお金を巻き上げるのは気が進まない。これでギグ、楽しんできな」
斯くして金也は貴重なチケットをほぼ定価で手に入れた。

この前ナズローさんに言われた「あなたは音楽の神様に選ばれたのよ」という言葉を噛み締めながら、金也は憧れのPaul Wellerのギグをロンドンで観る、という夢を叶えたのである。もちろん最高のショーだったのは言うまでもない。


◆Bottle Up and Go

日本で煮詰まったことなど考えるのも億劫になり、金也の音楽三昧の日々が始まった。
London’s Rock Landmarksを指南本としてあちこちのロック名所を巡り、Time Out片手に夜な夜なギグやクラブに通い詰めるようになる。

キンクスの曲名にもなりボブ・ディランのDon’t Look Backが撮影されたDenmark Street、デヴィッド・ボウイのジギースターダストのジャケ写になったHeddon Street、The Whoがキース・ムーンと出会ったOldfield Hotel、ビートルズFor Saleのジャケ写撮影場所でR.ストーンズ伝説のコンサートが行われたHyde Park、The JamのThis Is The Modern Worldのジャケ写が撮られたLatimer Roadのロータリーの下。

ジャムやプリテンダーズが名盤を録音したAir Recording Studio、ビートルズが最後にライヴ演奏(屋上で)した旧Apple Corpsビル、Dr Feelgoodをはじめパブロックの礎を築き、U2が初めてのロンドン公演(客は9名だった)を行った偉大なライヴパブThe Hope And Anchor、ピンクフロイドのAnimalsのジャケになった(豚は飛んでないが)Battersea Power Stationなど、金也は来る日も来る日もいろいろな場所で音楽に想いを馳せた。

Half Moon Putneyにウィルコ・ジョンソンを見に行った時も運命の悪戯があった。
ここは場末のパブで、ドリンクフロアとライヴフロアが分かれているが、それぞれのスペースはそれほど大きくはない。スタウト(黒ビール)のパイントグラスを片手に開演前にライヴフロアでPA卓(音響調整卓)を覗き込んでいる金也に「ここで、なにしとっとぉ?」と福岡弁で声をかける男がいた。
「うわっ!鮎川さん!どうしたんですか?」
「それはこっちの台詞よぉ。どしたの?シーナもおるよ」

細かい話は抜きにして、いまロンドンにいて今夜のギグを見に来たことを鮎川誠に告げる金也。鮎川さんはちょうどロンドンでウィルコ・ジョンソンをプロデューサーにレコーディングしていて、この日ステージに飛び入りするらしい。ラッキーというほかなかった。

ギグが終わるとブロンドヘアーでそばかすがキュートな女の子(たぶん同年代)が金也に微笑んで話しかけてきた。どれだけラッキーが続くのだ?と金也はドキドキした。
「今夜のギグ素晴らしかったわね。私はシンディ。あなた、あの飛び入りした日本人ギタリストの知り合いでしょ?さっき話してるの見たわ」

どうやらW.ジョンソンBandのベーシスト、ノーマンのことがお気に入りらしく、金也にノーマンと話せるよう鮎川さんに言ってくれ、というお願いだった。
「それは難しいよ。鮎川さんは知り合いだけどウィルコもノーマンも個人的には知らないし。君の役に立てなくて悪いね、シンディ」と答え終えた時だった。
鮎川さんが楽屋へ一緒に行こうと誘いにきてくれた。シンディはニコリとして、私は金也の友達だと自己紹介した。そうきたか!

鮎川さんに連れられ、金也とシンディは1st Floor(2階)の楽屋へと向かう。2年前にサインをもらい何人かで一緒に写真を撮ったことはあるが、いざ改めて紹介され向き合うと思うと緊張する。
ギネス片手に優しい握手で迎えてくれたので、思い切っていろいろ話してみようと試みる。今夜の素晴らしいギグの感想を延べ、さらにDr Feelgood時代からファンだということやギターフレーズをかなりコピーしたことなどを話す。

ウィルコが「日本にも君みたいに俺のようなギターを真似する奴がいるんなんて驚きだ」と言うので「僕の他にもう1人。去年あなたの東京でのライヴに一緒に行ったアベフトシって男もなかなかですよ。彼はプロで僕はアマですが」と金也は答える。

30分は楽屋にいただろうか。そろそろ帰ろうと思いシンディを見るとノーマンにベッタリくっついている。やっぱ日本じゃないなぁ〜とほくそ笑んで、金也は1人楽屋を後にした。

テムズ川に反射する月はハーフムーンではなくフルムーンだった。


◆God of Music

塞き止められたダムが崩壊したかの如く、再び音楽という名の洪水の中を泳ぎはじめた金也だが、以前とはあきらかに違う感覚を覚えていた。
自分には音楽しかないのだ!という頭でっかちの強迫観念は消え、自然と心が反応するまま自由に音楽を受け止めている。意識せずとも血管を流れる血の中に音楽が滲んでいるような、もしくは細胞のどこかに音楽が組み込まれているような、そんな感覚だ。

音楽を嫌いになったわけじゃなかった。ただ金也自身の狭い視野と器の小ささが招いた、単なる周囲への言い掛かりだったのだと気付く。
そしてナズローさんが言ったことは少し違っていて、音楽の神様に選ばれたのではなく、音楽の神様がいつも見守ってくれているのだと思えるようになった。

久しぶりに作った曲は以前と比べればより大人びて洋楽的になっていて、多重録音でデモを作ることにもチャレンジした。バンドばかりやってきた金也にとって初めてのソロワークスだった。

1ヶ月を過ぎると、経済的な蓄えが減ってきたことに今更ながら気付く。
ムラトと結託して日本人観光客を店に連れて行ったり、マーケットやクラブで知り合いになったDJにまじりナイトクラブでレコードをスピンしたり、バスキング(道端や駅のプラットホームでのストリート演奏)をしたり、通い詰めたライヴハウスのPAを手伝わせてもらったりして、金也は小遣いを稼いだ。ちょっと危ない薬を売ったりしたことも本当のところ何度かある。

そしてそれらの経験は金也を音楽の世界にゆり戻すというよりも、別の角度から新たな方向性を見出すことへの大きな原動力となっていく。
もし音楽や音の世界で生きていくならば、一度今までと違った立ち位置で音楽全体を見つめ直す必要があるのだと感じてくる。

同じところに舞い戻るのではなく、もっとストリートに根ざした音楽の仕事をやってみたいと思い至ったとき、いったん日本へ、仙台へ戻ることに決めた。

そう、音楽の神様はきっとずっと見守っていてくれる。恐れることなどない。


◆Origin Of Name

Mrs. Nazrooは金也との別れの日、朝から涙が止まらなかった。
1年も経っていないが、このまま彼がこの家に居着いてもいいかなと思っていた。ある意味息子のように感じてもいた。だからこそ悲しみが大きかったのだが、よくぞ立ち直ってくれたという嬉し涙も混じっていたものだから、涙の量は倍増した。

モスグリーンの愛車Miniでヒースロー空港まで送ってあげたほうがいいとは知りつつ、別れが辛くなるのが嫌で、エンジンの調子が悪いのだと嘘をついた。

金也も同じ想いだったから、ナズローさんの嘘にホッとした。嘘とわかる嘘にホッとしたのは初めてだ。それに、泣いて腫れた顔で別れるのは永遠の別れのようで大袈裟だし、ちょっと照れる。きっとまた、すぐに来れるだろうという予感もあるし。

玄関を出るときMrs.Nazrooは瞳からあふれる涙を拭おうともせずに金也に言う。

あなたの名前、すごく意味があるわ。
音に羽がはえて、やがて金色に輝くんでしょ?音羽金也ってそういう意味よね?

金也は最上級に微笑んでナズローさんと長めのHugをし、そしてドアを開け手を振る。
Tube Stationまでの見慣れた道を歩きながら、金也は知らず知らずに頬をつたう涙と、それとともに込み上げてくる笑いをこらえるのに必死になる。

名前の解釈の件、じいちゃんから字をもらっただけだとはさすがに言えないよな〜、あの場面で。
ナズローさんって、やっぱりチャーミングだな。

そのお陰なのかはわからないが、思った以上に金也の足取りは軽く、頭の中ではAll You Need Is Loveが清々しく鳴っていた。


続く。。。
by higehiro415 | 2011-01-14 01:42 | 物語

小説・Start Me Up

◆Mrs. Nazroo

Kinya Otoha(音羽金也)と名乗る青年が、つたない英語で私の家にステイさせて欲しいと電話をくれたのは、確か1992年の2月下旬、お昼を少し回った頃だったかしら。
その日は朝から鉛色の空で、無くなりかけていた愛用のハンドクリームを買いにマークス&スペンサーへと出掛けようと髪を梳かしていたら、電話のベルが鳴ったの。

その年のはじめに外国人のための英会話スクールに貼り出していた、私のホームステイ募集の紙を見たらしいのよね。
貼り出してもらったことさえ、すっかり忘れていたわ。

故郷のスイスからロンドンへ移り住んで38年、夫が天に昇った8年ほど前から私は外国人留学生をホストファミリーとして受け入れてきた。
そうは言っても他のホストファミリーのように、生活のため(つまりお小遣い稼ぎのため)常に誰かを住まわせてきたわけではないのよ。

ここに来た時にまわりから受けた恩によって私が助けられたように、今度は志を持つ外国の若い子に何か約に立てればいいと思うだけ。
だから忙しい時や自分の心に余裕がない時は、きちんと向き合ってあげられないのでお断りしているの。

でも今回はタイミングが良かったので、会って話を聞いてみることにしたのよ。
礼儀知らずの生意気な外国人だったら、さっさと追い返せば済むことだし。

あら、私ったら。どこの国から来たのか訊ねるの忘れちゃったわ。


◆Kinya

雰囲気はいいが冷たくて水圧の弱いB&Bをチェックアウトした金也は、ヴィクトリア駅近くの外国人向け英会話学校に来ていた。

何の予定もないがせめて会話ぐらいは習得したいと考えていたからだ。
とは言え英語の勉強が目的ではないのでとりあえず午前中コースの申込みを済ませ、掲示板に貼り出されていたホームステイ募集の紙切れを見る。

B&Bに長期滞在することも考えたが、イギリスの生活を知るにはやはりステイしたほうが何かといいのではないか?と思った。
それに現状に嫌気がさしノコノコと日本を逃げ出してきた金也にとって、昨夜のような一人きりの夜は自分と向き合わねばならないような気がして、到底耐える自信もない。

貼り紙には住所と料金、そして条件(というか約束事)が、おそらくそれぞれのホストファーザー(またはマザー)直筆の素っ気ない文字で綴られている。
どこにしようかと迷ったが「朝食・夕食はダイニングで私と一緒に食べること。あとは自由に楽しみなさい」と書かれた貼り紙の電話番号を手帳にメモして、金也は学校を後にした。

決め手はコメントの感じが気に入ったこともあるが、ほぼ直感だ。
頭でどうこう考えても最終的には直感に頼って決断してきた習慣は、そうそう変わるものではない。

公衆電話を見つけるとコインを入れボタンを押す。

呼び出し音が聞こえてから「あれ?こういう時、英語でなんて言えばいいのだろう?」と脳みそを回転させようとしたら「Hello. This is Nazroo」と声がする。
慌ててしどろもどろになりながら、金也はステイしたいのだがと何とか伝えた。

電話の向こうの、話し方から想像するに温厚そうなおばさんは「面接したいから今から来られる?」と言うので「もちろん。すぐ向かいます」と金也は受話器を置いた。

国籍とか訊かれなかったけど、いいのかな?まぁ、いいか。


◆Edward

俺の名前はエド。

London Underground・Northern LineのClapham South駅前のコーナーショップの店長やってるのさ。
Undergroundつっても、イギリスじゃ地下鉄のことだぜ。

クイーンズイングリッシュが本当の英語なんだよ。わかるか?

ホテルの1階はグランドフロア、2階がファーストフロア。
Oftenはtも発音するのが英国流さ。

おっと、前置きが長くなっちまった。

あいつが初めてここに来た時のこと、はっきり覚えてるぜ。
まだ肌寒い午後、俺が遅めのランチのKebab(あ、米国ではKabobな)をつまみ終えたとこだった。
でっかい荷物とギターを抱えた髭面の野郎がWinstonを買いに来たんだ。

はじめはブラジル人かと思ったぜ。
なんせこの界隈で日本人はあまり見かけないからな。

Winstonを2箱手渡すと、今にも泣き出しそうな目で俺にメモを見せ言った。
この住所に行きたいんだが、家がどれも同じで表札も出てないから分からないと。
ドアや庭門の特徴を聞いておけってんだよなぁ〜、まったく。

俺は笑いながら教えてやったさ。
近くまで行って片っ端からドアをノックすりゃわかる!ってな。

後で聞いたんだが、そしたらあいつ本当にそうやって辿り着いたらしいぜ。
きっとKnockin’ on heaven’s doorでも口ずさんでたんじゃねぇのかな?

金也、あっ、俺はGold Boyって呼んでたけどな、懐かしいぜ、まったくよぉ。


◆Mrs. Nazroo

ドアをノックする音が聞こえて玄関に出ると、国籍不明の青年が立っていたの。
大きなスーツケースとギターケースを持って。

まぁ訊き忘れた私がいけないんだけど、よくよく見れば日本人だとわかるわ。
でも無精髭にサングラスでミリタリーのパーカーを羽織り、腕にはターゲットマークのワッペン。
どう見てもアジア系には見えなかったし、ましてや日本人とは驚いたわよ。

とにかくリヴィングのソファに座ってもらい、DRURYのダージリンティーとWalkersのショートブレッドをテーブルに置き、Kinyaとの面接をスタートさせたの。

「初めまして。私はナズロー。電話で聞き忘れたのだけれど、どちらから?」
「日本からです。東京から車で北に約5時間の仙台という緑の綺麗な地方都市です」

「英会話スクールでここを知ったということは、語学留学ね?」
「いや、違うんです。学校には通うつもりですが」
「あら。じゃ、お仕事かしら?それとも単なる観光?」
「いや、目的は特になくて、う〜ん、自分探しの旅と言うか…何かを見つけに」

「日本でのお仕事は何を?」
「音楽関係の仕事でしたが、いろいろあって別の道を探そうと思ってます」
「明日からどうするの?」
「とりあえず大英博物館や美術館に行って、そしてあちこち散歩してみます」

「何かあなたのほうから質問はある?」
「他のことは自由なのに、朝食と夕食だけは一緒に食べるというのはどうして?」

「ホストファミリーだからといってずっと一緒に時間を過ごす気はないの。あなた大人だし。かといってずっと別々じゃコミュニケーションも取れないし、1日に2時間でも食事しながらお互いの国のこととか文化とか話せたら面白いじゃない?それに生きている限りちょっとしたルールは必要なものよ。自分1人じゃないんだから」

「納得です。ナズローさんの生活や考え方に触れることで、何か人生のヒントが見つかるかもしれないし、何せ小さい頃からの親との関係不具合のせいで人とベタベタ一緒にいるのは苦手なので丁度いいです」

そんなやりとりの後世間話を30分くらいして、私たちの契約はすんなりまとまったの。
穏やかな中にもクールではっきりしている部分もあり、この街にきっと合うかもしれないと直感したわ。

悪いこと出来そうにない顔だったし、食事以外は合鍵を持たせて勝手にやってもらうことに決めたの。


◆Kinya

ここ使いなさいと案内された3階(2nd Floor)北側の8畳くらいの部屋に荷物を置いたら、猛烈な眠気が襲ってきた。
手作りらしき毛糸の可愛らしいリースが飾られたベッドに、金也は横たわる。

しばらくしてハッと目が覚めて時計を見るとおよそ2時間が経過し、淡い黄色でペイントされた窓枠の外は薄く夕暮れが忍び寄っていた。
夕飯の時間は18時半と言われていたので、あと1時間半はある。

愛用のRickenbacker330は、ケースに入れたまま部屋の隅に立て掛けた。
しばらく弾くことはないだろうと思ってはいたが、何となく可哀想で持ってきた。

ウォークマンは日本に置いてきたし、物心がついてから初めての音楽のない生活だが不安や寂しさはなかった。
音楽から逃れようとロンドンに来たのだから、それはむしろ清々とした気分だ。
それより明日からの有り余る時間をどう使うかが大切なのだ。

パンパンに詰めてきたスーツケースを開けクローゼットに片付けながら、明日からの計画を頭の中で練り始める。

ほんのりと海老らしき匂いが漂ってきて部屋のドアを開けると、階段の下のほうからはキッチンで何か炒めているジュジューとした音が聞こえる。
ナズローさんの軽やかな鼻歌は洋風の童謡らしきメロディーで、当たり前だが英語だ。

金也はようやく、あ〜ロンドンにいるんだなぁ〜と実感する。


◆Rickenbacker330

僕の名前は330。前にどこかで会ったよね?

さてさて、ここに来て1週間。
そろそろ僕も外の空気を吸いたいけれど、まだケースからは一度も出してもらえないよ。

彼のここでの生活は、まさに健康そのものさ。
朝6時過ぎにはベッドを出て、まだ息の白い外に出て近所を散歩。

戻ってきて30分くらいは地図とにらめっこする。
たぶん今日行ってみるところの下調べだろうね。

8時にはゆっくり朝食とって、その後学校へ。

午前中の授業が終わってからは、あちこちブラブラして夕飯時に帰宅。
食後の紅茶を飲んだらどこかのパブへ繰り出し、夜中に帰ってきてシャワー浴びて寝るというパターンさ。

ナズローさんは料理上手だから結構食べてるはずなんだけど、まぁある意味規則正しいし、だいぶ歩いてるみたいだから、いい感じで身体が締まってきたんだよなぁ。

それにしても部屋にいても何の音楽もなく地図見てるか本読んでるかだし、いったい毎日どこブラブラしてんだろう?

このまま僕はレスタースクエアにある、ジョー・ストラマーが通う楽器屋に売り飛ばされちゃうのかもしれないなぁ。


◆Edward

あのGold Boyとは、あれからほぼ毎日顔を合わせることになったぞ。
しかも朝夕、1日2回だぜ。
そりゃ親しくもなるってもんだ。

まぁ俺の店は駅への階段のとこにあるからよ、ここら辺に住んでいてチューブを使ってる奴はほとんどが顔見知りなんだがな。
おっと、ロンドナーは地下鉄をTubeって呼ぶんだ、テレビはTerryだ。
また脱線しちまった。

Gold Boyとは朝は手を挙げて挨拶する程度なんだが、夕方はいつもWinstonだのTunnocksのティーケーキだの買いにくるから自然と話もするわな、そりゃ。
今日はどこへ行って来たんだ?とか、まぁそんな話さ。

最初のうちは大英博物館だのテート・モダンだの美術館巡りや、あと、何だっけなぁ。
そうそうウィンザー城も行ったみてぇだな。

あとはテムズ川沿いをただ歩いたりハイドパークやグリーンパークでボーッとしたり、あちこちのカフェで紅茶飲みまくって、夜は場末のパブでスタウト飲んで。
まったく呑気なもんだぜ。

こっちのビールは旨いが冷えてないとかほざいてたが、スタウトは常温で飲むものだっつうの。
ありすぎて忘れちまったがよぉ、他にもあいつにはいろんなこと教えてやったぜ。

パブでカクテル頼む時はwith ice ! と言わなきゃ氷が入ってこないことや、カバンなど持たずに英字新聞をケツのポケットに入れて歩くとよそ者に見られないこと、あとTaxiの乗り方とか、もちろんレディーの口説き方もな。えへへへ。

最初Gold Boyを見たときギターケース抱えてたから音楽好きなんだと思ってよ、ライヴ情報ならTime Out見りゃ一発だぞ!って教えたんだが、音楽はNo thank youって言われちまった。

その一言で俺はピンときたぜ。
あのケースの中身だがな、ギターじゃなくライフルかなんかだぜ、きっと。


◆Mrs. Nazroo

Kinyaがうちに転がり込んできてから10日ほど経ったかしら。
最初から気になっていたこと、思い切って彼に聞いてみることにしたの。

「ロンドンはどう?」
「歩いてるだけで楽しいよ。文化というか歴史の匂いがプンプンするね」

「ところで他人の人生に口出しするつもりはないけれど、今の仕事ほんとにやめるの?」
「はい。もうこりごりって感じです」
「何が理由で音楽が嫌いになったのかしら?」
「いや音楽がというより、音楽の仕事とそれに関わる自分が嫌になったのかなぁ」

「好きなことを仕事にするなんて幸せじゃない」
「仕事だと好きな音楽だけやるわけにいかないし、次々こなす感じがなんか愛情を注いでない気がして。それに浮かれて勘違いした業界人に愛想が尽きたのもある」

「自分がそれに染まらなければいい話じゃないの?」
「でもやっぱり妥協も必要だし、なんだかすべてが歪んできて腐っていきそうだし」
「それって音楽やまわりのせいなの?自分の心掛けや信念や弱さのせいじゃないの?」
「そうですね、きっと。だから自分が音楽の世界に向いてないのかなぁ〜?って」

「私はね、Kinya。人にはそれぞれ役割があると思うのよ。役目、使命とも言えるわね。あなたはきっと音楽の神様に選ばれたの。そうでなきゃ最初っからそんな仕事に就けやしないし、ましてや続けられやしないわ。だから他の何かを探すのではなく、音楽の中で自分の役割が何なのかを探すことが先決よ!」

Kinyaは俯いたまま、ぬるくなったアールグレイをちびちびとすすっていたわ。
ちょっとキツイかしら?と思ったけれど、この子はきっと大丈夫。
目を見ればわかるわ。


◆Rickenbacker330

ロンドンに連れてこられて2週間。

僕はようやくケースの外の空気を、思いっきり吸い込んだんだ。
もう窓の外は暗くて風景は見えないけど、凛としてほのかにローズの匂いが漂うこの部屋の感じ、紛れもなく日本じゃないってことはわかったよ。

彼にどんな心境の変化があったのかは知らないし、もしかしたらただの気紛れな時間潰しかもしれないけれど、ケースの中じゃ僕の役目は台無しだもんな。

何を弾いてくれるのかでだいたい彼の気分は察しがつくけど、イギリス盤アルバムヴァージョンのMy Ever Changing Moodsってのは、ちと意外だなぁ。

久しぶりなんだからさぁ、もっとこうYou Really Got Me(あっ、キンクスのヴァージョンね)をガツッと弾くとかさぁ。

まぁでも、何だか優しい気持ちにはなるかもなぁ。
それに、弾かれることに意義がある!なんちゃってね〜。

これで僕はライフルなんかじゃなく、歴としたエレキギターだって証明できるぞ!


続く・・・
by higehiro415 | 2010-12-27 02:26 | 物語

小説・逃避行

◆Chocolates & Lenny

およそ13時間、いつもより多めにワインを飲んだのは、はやる気持ちを抑えるためもあったが、どちらかと言えば深い眠りに就いて余計なことを考えたくないという理由のほうが大きかった。

それにしても旅客機のエコノミークラスというのは、長時間のフライトとなると何とも狭くて居心地が悪い。
体をほぐすため散歩宜しく機内をウロウロと歩き回りたい衝動に駆られるが、さすがに怪しくみられるだろうと思い、わざわざぐるっと遠回りして洗面所に行く。

歩きながら乗客を見渡してみると外国人7割、日本人3割くらいだろうか。
これがJALやANAなら逆の比率なのだろうが、サービスや機内食が多少劣ろうとも、音羽金也がVirgin Atlanticを選んだのには2つの訳がある。

1つめは機内で配られるチョコがCadburyのDaily Milkだということ。
2つめは最近お気に入りのLenny KravitzがVirgin Records所属だということ。

現実的にはエアチケットが安いとか、イギリスへ行くならやはり本場の旅客機でという思いも無くはなかったが、金也にとってはチョコとレニーのほうが遥かに重要だった。


◆Distance

2度目のヒースロー空港は、相変わらず鉛色の空だった。

チューブ(地下鉄)とも思ったが、急ぐわけでもなし風景を楽しみながら市内まで行くことに決め、金也はコーチ(長距離バス)に乗り込む。

空港を出るとイギリス特有のセミ・デタッチド・ハウス(2棟セットになってる家)の列が道路脇に立ち並んでいるのが目に入る。
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同じ形とレンガ色の連続ではあるが、それぞれが好きにペイントしているらしい玄関ドアのカラフルさが何ともキュートだ。

道路にはHONDAやTOYOTAのロゴが入った日本車も走ってはいるが、かなりの割合で色とりどりのMINI Cooperが目に留まる。
やっぱり完璧なフォルムだよな〜と、心の中でつぶやいてみる。

終点のヴィクトリア・コーチ・ステーションまで、およそ1時間。
住宅地や公園を抜けテムズ川が見える頃になると、景色もだんだんと都会っぽくなってくる。

3年ぶりに見るLondon市内までの街並に目を奪われたおかげで、金也は本来の渡英の目的を考えずに済んだ。

到着してヴィクトリア駅まで歩き、案内所で近場の手頃なB&Bを探す。
この駅はロンドン地下鉄とナショナルレールの乗り入れ駅なので、多くのホテルやB&Bがあるらしい。
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前回は3日間しか滞在しないパック旅行だったので土地勘や情報があるわけはなく、単に値段と名前だけで適当なB&Bを確保した。


◆Murad

夕飯は通りすがりに見つけた古めのファストフード・レストラン、もちろん注文はフィッシュ&チップスに決めていた。

「フィッシュ&チップス、ひとつちょうだい」
「フィッシュは、どれ?」

黒板を見るとCod/Plaice/Halibutと書いてある。
金也は焦ったが、唯一単語がわかるCodにした。

あまり品がいいとは思えない風貌の店員が、にやりとしながら言う。

「兄ちゃん、イギリス初めてかい?ブラジルから何時間かかるんだ?」
「はぁ、ブラジル?おれ日本人だよ!」
「嘘つくなって。カメラも地図も持ってない日本人なんて見たことねえぞ」
「本当だって。ほら、パスポート。Japanって書いてあるだろ!」

「本物か、これ?ワッハッハ。いや日本人などうちの店に来ないからさ」
「ブラジル人だって、あまり来ないだろ?」
「いや。年に1〜2回は来るぞ!おれ、ムラト。トルコから来たんだ」
「おれ、金也。正真正銘の日本人(笑)」

「なんでチョンマゲじゃないんだ?」
「それは大昔の話だよ。いまチョンマゲしてるのはお相撲さんだけだ」
「知ってるよ。ジョークの通じない奴だなぁ。やっぱり日本人だ」
何か言い返したかったが、金也の英語力では難しかった。

そして揚げたてのCod&Chipsは驚くほど旨かった。
途中あのムラトが近寄ってきて「ソルトとヴィネガーたっぷりかけるのが英国流だ」と言ったので、そうしたのも良かったのだろう。
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帰り際、金也の決まり文句のような別れの挨拶に、ムラトはムキになり言った。
「あっ、いまagainって言ったな。なら絶対また来いよ!」

怪しげな風貌とは真逆の、キラキラとした満面の笑みだった。


◆Rose Pattern

B&Bにチェックインし、すぐにシャワールームへ。
長旅の汚れを落とすのだ。

蛇口をひねる。あれ?思いっきりひねる。
それでも、ちょろちょろとしか出てこない。
しかもお湯ではない。ほんのちょっとぬるくなった水だ。

まだ2月末、けっこう寒い。
歯を食いしばり髪と体を洗う。そして急いであがり震えながら服を着る。

隣のシャワールームから泊まり客が出てきた。
イタリア系の顔立ちの美男子だ。

金也は尋ねる。「シャワー、冷たくて出が悪くなかった?」
美男子は顔色も変えず答える。「うん、そうだね。でも洗えたでしょ?」

「そりゃ、そうだけど」
あいた口を開けたまま部屋へ戻る。部屋も相当冷えている。
ヒーターの栓をMaxにする。それでも、ほとんど暖まらない。

こういうもんなんだ、と思うしかない。金也はそういう考えに至った。

寝間着の上にコートを着込んでベッドに入る。
朦朧とした頭に、言葉の断片が脈絡も無く浮かんでは消える。

何がしたい?これから、どうする?
おれは誰だ?いったい何者なのだ?

仕事、仲間、生活、音楽、恋人、親、金、ギター、才能、焦燥、30。

言葉の立体達が、増水して渦になったテムズ川に無造作に流されていく。

橋の上には薔薇柄の浴衣を着たキース・ムーンが立ち、一瞬こっちを向いて微笑んだかと思った瞬間、その渦に飛び込んだ。


続く。。。
by higehiro415 | 2010-11-27 02:16 | 物語

小説・Good Luck,Boy.


ステージで演奏する4人組は、カラフルな衣装を着ていた。
それは天然色とか派手というよりも、サイケデリックな風合いだ。
Quick One(The Who)のレコードジャケットのようだな、と音羽金也は思う。

サウンドは硬質だがメロディアスで、長身のボーカリストはかなりキーが高い。
冷静に見て演奏もいいし、イギリスっぽいModなファッションもいい。
メロディーは‘60年代ブリティッシュの匂いを醸し出し、ボーカルと同じくらい長身のギタリストはRickenbackerをかき鳴らしていた。
2枚目のアルバムをリリースしたばかりのツアーのようだったが、客は20人くらいしかいなかった。

地元仙台で独自のイベントを企画制作している小さな音楽事務所に転職していた金也は、ある日レコードメーカーのW氏に「とにかく一度聞きにきてくれ。詳しくはそれから」と説得され、このバンドのライヴに来ていた。

ライヴが終わり、W氏と共にフロアの外へ出て、楽屋の手前のベンチに腰をおろす。
「はじめて見ましたけど、いいですね、このバンド」
「だろ?客が入ってないのがもったいないよな!」
「仙台だからですかねぇ?Modsって、あまりいないし」

「ま、とにかくさ、このバンドを東北で何とかしたいんだよ」
「なるほど。で、どうするつもりなんですか?」
「そこだよ、金也ちゃん!だから来てもらったんだろうが」
「は?イベンターのN社長と話したほうが早いんじゃないですか?」
「いや〜、それがちょっと難しそうなんだよな、理解してもらうの」
「こんなにいいバンドなのに?」

「そう。そこでだ。金也ちゃん、やってみる気ない?このバンド」
「えっ?イベンターとして・・・ですか?」
「うん。金也ちゃんとこに移そうと思ってる。こういうバンド好きでしょ?わかってくれる人がやったほうがいいんだよ。動員100人目標ね!」

その時ガチャリと楽屋のドアが開いて、長身でおかっぱ頭のボーカルが出てきて唐突に言った。
「ねぇ、きみさ、Modsなの?」
この瞬間、彼らと金也の長い付き合いがスタートした。



世は第2次バンドブームと言われはじめ、雨後のタケノコのように新人が現れた。
原宿のホコ天や、TVでのイカ天、宝島などの音楽雑誌もそれを増長させた。

仙台にもいくつかイベンターはあったが手が回らなかったのか、客が入る、いわゆる儲かるバンド以外にはあまり手を出していなかった。

金也が転職した事務所は、それ以外、つまりはこれからブレイクしそうな若手バンドや福岡出身の「めんたいビート」と呼ばれた硬派なバンド達など、大きい会場では動員がきついが、小中規模のホールなら確実に観客を熱狂させる魅力と実力を持つバンドを次々と手掛けていく。

東北6県ツアーも頻繁にブッキングし、金也はいくつものバンドと1台の車で東北を巡った。
運転、当日のライヴの仕切り、東京からPAオペレーターが来ない多くのバンドのPAも兼務した。もちろん夜の打ち上げの仕切りや精算も。

また毎年夏には、恒例の野外ロックフェス「R&R五輪」も仙台郊外で開催。
金也はステージプラン、PAプラン、バンド選定、当日の運営スケジュールなどを手掛け、プロデューサーである変わり者の社長のもとイベントステージ責任者として奮闘した。

それ以外にも地元音楽誌でツアーレポやレコードレビューを書いたり、いろいろなミュージシャンをゲストに招くエフエム番組のDJをつとめ呑み屋トークを展開するなど、PA(音響)技術のほかに今まで得ることが出来なかったソフトの部分で、多くのスキルを身につけることとなる。

彼自身のバンド活動も平行していたので、3ヶ月休み無しなんてのもザラだった。
それでも若さと情熱といくつかの素敵なミュージシャンとの出会いが、金也を支え続けた。



前身は、ポーランドに生まれドイツで活動したマルクス主義の政治理論家であり革命家の名前をバンド名にしていた。
その後メンバーを替え、ニューオーリンズのスープの意味を持つバンド名で、いくつかのレコード会社の争奪戦ののちSONYからライブビデオでデビューする。

金也は中野サンプラザで、はじめてデビュー前の彼らを見た。
うねるジャングルビートに、言葉遊びのような独特の日本語歌詞がのる。
ポップだが渋いその感じは、これまで聞いたことがないジャパニーズR&Bだった。

そのボーカリストは裸足が似合う男で、一緒に仕事をするようになりライヴ翌日に金也がホテルへ迎えに行くと、時間前にはロビーにいていつも新聞を読んでいた。
ヒッピー的なスタイルがトレードマークだったが、実は知性派で、普段はステージ上とは別人のような物静かな男であった。

年齢は金也のひとつ上だったが、それ以上に達観した感じに見えた。
それでも音楽や平和の話題になると、少年のような目で熱弁をふるったものだ。
(彼は今も天国で極上のR&Bを奏でているに違いない)

そんな仕事を超えた音楽人との交流は、まだ20代だった金也に大きな勇気を与えた。
もちろん音楽的なものや波長や人間的な理由で、関わったすべての人たちと深い話をした訳ではもちろんなく、どちらかと言えば打ち解け合えたのはごく少数であったが、その分密度は濃い。

一緒に悪ふざけばかりしたピエロのメイクのボーカリスト、ライヴでも共演した双子ミュージシャンの兄、とことん酒を飲んだ「影の人形」ボーカリスト、Pub Rockの話題を競い合った名前の通りに骨太ギタリスト(合掌!)などなど。

どれが特別ということではなく、どれもが特別だった。

点がだんだんと増えて、やがてそれが時を経て線で結ばれる日が来ようとは、当時の金也は知る由もなかった。
同時に自分を省みる時間もなく猛スピードで過ぎ去る毎日が、金也の精神状態を間違いなく蝕んでいっていることにも気づかずにいた。



「ほんとに行くのか?」
「はい。5年以上休みなく働いてきたし、今一度自分を見つめ直してみたいんです。前に社長だって、これからは東京じゃなく海外だと言ってたじゃないですか」
「そりゃ言ったが。ここでだって自分と向き合うことぐらいできるだろう?」
「いえ、この環境では難しいと思います。このままでは音楽が好きじゃなくなってしまうかもしれないし、何より新しい目標を探したいんです」

金也の意識の遠くのほうで何者かが語りかける。

おいおい、誤摩化すんじゃないぞ。
すべてに疲れて目指すものを見失ってるだけじゃないのか?
目の前にあるもの全部が面倒で、すべて放り投げて逃げ出しいんだろ?
そこに何があるというのだ?
どうせなら大好きなところへ、という程度のものなんじゃないのか?
業界に入って10年、仕事を悟るにはまだ早いだろうが?

うるさい!もうここではやり尽くしたんだよ。
仕事だけじゃない。人間関係も御免だし、バンドだって解散。親子関係も修復できないし恋愛だって何だかまともじゃない。袋小路なんだよ。

そんな状態で行ってどうすんだ?
わからない。古着の買い付けでも学んで音楽の仕事とはおさらばするよ。
ふ〜ん、ま、あんたの人生だ。好きにするがいいさ。
Good Luck,Boy!

冬の終わり、なんの宛てもないロンドンへの逃避行に金也は旅立った。

それは重いコートを脱ぎ捨てて憧れの地へ行くという希望に満ちたものであるはずなのに、何故か都落ちというか夢をあきらめた時の絶望感にも似た、もやもやと視界がはっきりしない心模様であった。

なんだかロンドンの霧のようだなぁ。
金也は皮肉まじりにそう思い、強がって微笑んだ。


続く。。。
by higehiro415 | 2010-10-22 22:28 | 物語

小説・R&Rダイナマイト!

★Glimmer Twins ?
「短い単語がいいよなぁ、やっぱり」
「うん。一語だね、絶対」
煮詰まった2人は英語の辞書を無作為にめくりながら、頭を捻らせていた。
これまでに何度も話し合ってきたが、どれも決め手に欠けていて、この日だけでもすでに4時間は経つ。

今日こそは決めようと岩垣の部屋を訪れた音羽金也は、気分転換にとターンテーブルの上にレコードをのせ針を落とす。
乾いたギターカッティングにシンプルなドラムが絡み、ベースとピアノのブリッジのあと色気のあるヴォーカルが「ホ〜ット、スタァ〜ッフ」と曲のタイトルを繰り返す。
憂いのあるメンバーの顔が大写しにされたジャケの、金也の大好きなアルバムだ。

スリーピースだったので三日月の意味を持つNu:Moon(NewをNuとしたのは、ルースターズの曲を参考にした)、その後4人編成となり好きなギタリスト、ウィルコ・ジョンソンからヒントを得たSolid Sendersと続いた。
しかしメンバーチェンジを機に本気でバンド活動をやろう!と決めたヴォーカルの岩垣とギターの金也は、バンド名も新しく変えて心機一転を目論んでいる。

ドラムには金也よりも6歳下のティーンエイジャーで、某バンドを脱退したばかりの喝彦を引きずり込んだ。
お調子者の彼は最近まで、若いくせに(ゆえにとも言えるが)女性性器を連想させる卑猥な名前のパンキッシュなR&Rバンドにいた。
名前に反してグラマラスで神秘的な魅力を持ったそのバンドは、仙台では驚くほどの人気で、ライヴはいつも満杯だった。

もう1人は、某大学サークルで渋いブルースバンドをやっていた玖珂を引き入れた。
鮎川誠のような黒サングラスをかけ、淡々と寡黙にベースを弾くルックスに惹かれた。
ようやく、金也が想い描くイメージに近いバンドメンバーが揃った。

「おっ、これよくない?」
辞書めくりに飽き飽きして、ゴルゴ13を読んでいた岩垣が言う。
コルト45口径の拳銃について書かれたページに、悪い奴をやっつけるのに使われるから隠語ではPeacemakerと呼ばれる、とある。
ピストルなのにピースメーカーねぇ・・・語呂も意味も悪くない。
バンドだからSを付けよう。小文字表記で、あえてTheは付けないほうがカッコいいよね。

こうして peacemakers は産声を上げた。


★喝彦
俺は今までそこそこいいドラマーだったはずだ。
それが急に首だってんだから、あいつらにはこっちからFU○Kだっつうの!
まぁでも、捨てる神あれば拾う神ありってか?いや、タナボタっつうの?こういうの。

カッチョイイなぁと思ってた岩垣さんと音羽さんのニューバンドに誘われちまった。
これまで通り岩垣さんが歌詞を書き、音羽さんがメロディーとアレンジを考えるんだろう。
何でも、セルフプロデュースにも力を入れるって言ってたな。

俺、デザイン得意だから、バンドのロゴとかステージに飾るModな看板とか作らせてもらおう。
ん?瓦版のような情報発信もやったほうがいいな。あの2人そういうのマメじゃなさそうだし。
あとは、そうだなぁ・・・ステージ衣装も大事だぞ!

とにかく若さを注入してやるぜぃ。ひゃっほ〜!


★玖珂
「お前、音羽さんのニューバンドに入るんだって?」
「まぁな」
「今度はどんなバンドやるのかねぇ?」
「さぁな」
「少しはどんなのか話聞いたんだろうが?」
「UKパブロックをModsっぽくしたやつ」
「Dr FeelgoodとThe Whoを足して2で割った感じってこと?」
「The WhoじゃなくSmall Facesらしいが」
「でもお前、あの人たちの作る曲のベースなんて弾けるのかよ?」

「たぶん。難しい曲嫌いな人たちだし」


★peacemakers
始動してから月に2回ほどのペースで、あちこちのライヴイベントに出演しまくった。
巷のイベントは持ち時間30分が相場だったが、少しでも多くの曲をやりたいがために、作るオリジナル曲のほとんどを3分程度にした。
他のバンドが軒並み5曲のところ、彼らはMC無しで8〜10曲演った。

セットリストを毎回大幅に変えるために、練習のほとんどは曲作りとアレンジに費やした。
シンプルな曲が多かったが、リーダーである金也は「いい曲は小細工しなくてもいい曲なんだ」と口癖のように言っていた。
ポール・ウェラーの受け売りだった。

程なくして、何が功を奏したのか見に来る客は倍々ゲームで増えて行き、もっと自由に長く演奏したいと考えた。
イベント出演を一切やめて、気に入ったバンドを誘い自らライヴを企画するようになっていく。

イベントタイトルは Live For Today と名付けた。


★ニカchang
私は同僚カメラマンの送別会の帰り、1人ほろ酔いで一番町を歩いていた。
とは言っても、アルコールの弱い体質なのでモスコミュールを1杯半しか飲んでいない。
あとはもっぱら食べることと喋ることが、飲み会でのいつもの私の役目だ。

女子高生らしき2人がShallビルの前にある電柱を「なに?これ」と繁々と見ている。
「ただの電柱でしょうが!」と思ったものの、何となく気になった私は天の川を見上げるフリをして立ち止まる。
誰かさんの名前で相合傘でも書いてあるのだろうか?

女子高生が立ち去ったのと、まわりに通行人がいないのを確かめて、電柱に顔を近づける。
そこにはトリコロールのステッカーが無造作に貼ってあり「7.14 Dac Hall」とだけ記されている。
確かに「なに?これ」だわと、先程の女子高生に詫びる気持ちになる。

7月14日、つまり来週の土曜日にDac Hallで何があるわけ?
怪しげな集会にしてはトリコロールはポップすぎるけれど、胡散臭さがプンプンだわ。
でももし何か面白い出来事があるのだとしたら、仕事道具の一眼レフカメラを担いで行ってみるのもいいかも。スクープ撮れるかもしれないし。

気が変わらなければね、と自分に前置きして手帳の予定表に「トリコロール?」と書き込んだ。
タクシーを拾うために勾当台公園まで歩く道すがら、何枚も例のステッカーを見かける。

やっぱり、怪しい集会かも・・・。


★新谷
故郷である仙台へとひた走る新幹線の中で、知人が店長を務めるレコードショップから送られてきた資料に目を通している。
仙台を訪れるのは2年ぶりだろうか?
最近は東京での仕事が猛烈に忙しく、余裕がなかった。

新谷耕造は新宿にある老舗、いや日本のロックシーンを支えるライヴハウスのブッキングを担当していて、ここのところ雨後のタケノコのように出てくる若手バンドをチェックするのに余念がない。
いま仙台へと向かっているのも、そのレコードショップ店長に仙台のインディーズシーンについて情報を求めたところ「最近すごく話題になっているR&Rバンドがいる」と聞いたからだ。

そのバンドをどうしても見ておきたいと思うのは職業病か、それとも勘か?
いや、少し早い夏休みを取って里帰りを兼ねているだけだ、と自分に言い聞かせてみる。

送られてきた資料によると、キャッチコピーは「これぞ電光石火!3分間のR&Rダイナマイト」とある。何なのだ、これは?わかるようで、わからない。
オリジナルはすでに50曲以上あり、カヴァーにはYardbirdsやDr. Feelgoodなどの他に、MotownやHiのナンバーも並んでいる。
20代にしてはなかなか渋いし、何より新谷好みであった。

東北の某音楽雑誌に載ったインタビューを読むと、その生意気ぶりも気に入った。
Q.最近のバンドシーンをどう思う?
岩垣「そんなの考えたことないね。アメリカとイギリスのシーンにしか興味ないもん。しかし安易な質問だなぁ〜」

Q.ライヴではいつも、若いギターキッズ達が目の前に陣取ってるよね?
音羽「どんなに見ても俺と同じ音は出せないよ。エフェクター使ってる訳じゃないし。見る前に感じろ!と言っといてよ」

Q.自分たちの今の人気の理由は何だと思う?
玖珂「カッコいいから」

Q.ライヴの動員の多さを見ると、チケット売り大変じゃないかな?とか思うのですが。
喝彦「少し前から手売りはやめてプレイガイドと当日券だけにしたので苦労はないよ。人気者がチケット買ってくれ〜、なんてダサイじゃん。でしょ?あっ、そうでもない?」

グラスルーツの名曲から採ったという「Live For Today」と題された彼らのイベントは、今や仙台のインディーズの動員No.1だという。

噂によれば彼らのファンの女の子はオシャレさんが多く、地元ではPギャルと呼ばれちょっとした社会現象になっているようだし、テクニックというよりはサウンドとステージング見たさに、地元のバンドマンが大勢見に来ているという。

また、彼らが対バンに選ぶバンドはどれも質が高く、その評判を聞きつけた先物買いのバンドファンや音楽業界の人間が関東からも足を運んでいると聞いた。
当然東京のツアーバンドからの出演希望も多いようだが、それでも頑に「プロだろうがアマだろうが、自分たちがイイと思えなきゃお断り」というポリシーを崩さないらしい。

そんな媚を売らないスタンスも、新谷が興味をそそられる理由のひとつだった。

車内放送が流れ新幹線が停まる。2年ぶりに仙台に降り立つ。
駅前には新しいビルがいくつか建ったようだが、基本的な景観はあまり変わってないな。
目当ての会場となるDac Hallに歩を進めると、電柱に何か貼ってあるのを見つけた。

「Sat.18:30 peacemakers」とだけ記された、トリコロールのステッカーだった。


★Rickenbacker
僕の名前はmodel 330。相棒はVOX-AC30君。
peacemakersのメインギターとして、曲作り、リハ、そしてステージ…約5年間、連中をそばで見守ってきたんだ。

そりゃ大事にされてきたよ。
たまにはマイクスタンドでこすられたり頭上に放り上げられたりもしたけど、アンプに叩き付けられなかっただけマシさ。
ボーリング投法のように振り回された腕で、弦をジャ〜ン!とかき鳴らされる時が一番の快感だったなぁ。

思い出はたくさんあるよ。
打ち上げで、隣座敷の大学生サークルと大乱闘になり中央署に1泊したりとかね。
金也は「カツ丼は出ないのかなぁ〜」なんて呑気なこと言ってたけど、取り調べで「そのケースの中を拝見します」と開けられ警官と目が合ったとき、僕はかなり緊張したもんだよ。

それからライヴ前に怪しいドリンクを飲みすぎて岩垣が具合悪くなり、ボーカル不在でステージこなした時は、さすがの僕もちょっとビビったね。

突如現れて「私に写真撮らせて!」と詰め寄ってきたカメラマンのニカchangとは、ジャケットやポスターの撮影であちこち行ったなぁ。
年賀状用ポストカードの写真を撮りに行った石巻の工場地帯、なかなか雰囲気あって特に印象に残ってる。
ただケースからあまり出たくなかったんだよね、あん時。
だって、海風ってすぐに錆びるんだもん。ペグとかピックアップとか体のあちこちに錆の模様ができちゃってさ、せっかくの日々の僕の美肌ケアが台無しになったっけ。

あっ、ニカchangと詩人とのコラボで、連中の写真集みたいなの出たことあったなぁ。
どこいっちゃったんだろう?僕の赤茶けたボディの素敵なショットがあったはずなんだけど。

あと、新宿屋根裏部屋へのバスツアーも楽しかった。
旅行代理店がスポンサーになり、連中の対バンのためにファンを集めたバスツアー組むなんて、やっぱバブルだよね。

夜の部にオープニングアクト扱いじゃない枠で出演したのって、仙台からは2バンドめだったらしいよ。
あの時は大阪のKングサイズと東京のBレットが対バンだったけど、盛り上がったなぁ。
僕もたまたま見に来てくれていた鼻田さんに触られて、いい思い出になったぞ。

デビュー前のPeezとかSpatsとかの面倒も見ていた新谷さんに気に入られなかったら、こんな対バンも実現しなかったんじゃないかな。
あの超満員のDac Hallに来てくれたのはラッキーだった。


あ〜あ、振り返るとキリがないね。
メンバー同士の仲違いとか音楽的方向性の違いとか、いろいろあったんだと思うけど残念だよ。

だからオファーきた時にデビューしとけば良かったんだ、変に突っ張らずにさ。
出来レースのオーディションだからって、断る必要なんてなかったんだ。
青かったんだよ、連中は…音楽至上主義だなんてさ。60年代じゃあるまいし。


しばらく僕はリハスタやステージ上の空気を吸えないのかなぁ〜?
最近はギタースタンドに置きっ放しにされてるから、埃がたまって仕方ないんだよね。
AC30君なんて息苦しそうなケースに入れられて、このところ顔も見てないよ。元気かな?

ま、でも、始まったものにはいつか終わりが来る、っていうのは世の常だからね。
終わったということは、また始まるってことでもあるし、もうすぐロンドンに連れてってくれるって言ってたから、あきらめるか。

僕も大人になったな…少しは…


あっ、最後にひとつだけ。
いい加減、ケースに貼ったトリコロールのステッカー、剥がしたほうがいいんじゃない?



続く。。。
by higehiro415 | 2010-09-17 13:50 | 物語

小説「デビュー戦」

☆☆☆
地元の某事務所から鳴り物入りでデビューしたシンガーの、デビュー記念ライヴを見に来ていた。
まだ3曲目、せっかく応援しにきたのに悪いなと思いつつ、音羽金也(おとはきんや)はそのステージからすでに意識が逸れはじめていた。
そのシンガーの仕事に何度か関わった金也だが、業界特有の上から目線で物を言うピント外れのスタッフとそれに気づかない本人に幻滅していたし、実際問題目の前のライヴはお世辞にも良い!とは思えない。案の定サウンドのほうも、かなりイケてない部類のペチャペチャの音である。

良いものをイイ!と認めなかったり、良くないものをイイ!とおべんちゃらを言ったりする業界の体質に未だに馴染めずにいる。だから一匹狼と揶揄されたりもする。本当はウサギなのに?

金也はステージ天井から放たれる、赤や緑や橙のライト光線の輪郭に沿ったスモークの淵をぼんやり見つめながら、あの日のことに思いを馳せる。


☆☆☆
すでに道がある東京より、まだ道が開けてない地元で仕事をしたほうが面白い!と決断し、金也が仙台へ戻ったのは25年前。
飛び込みで電話した音楽事務所社長は「そんじゃ明日から来てみたら?」と言った。
そして1週間後には「来月さぁ、あるバンドの東北ツアーあるからさ。音羽、行ってきて!」

まだ若く経験の少なかった(プロの仕事はまだ1人ではやったことがなかった)金也は、多少いや内心かなり不安だっただろうが「わかりました」と答えた。
パンクバンドなのでデカい音を出せば今の自分の技術でもいけると思ったし、何よりチャンスだと思った。

そのバンドは、1930年代の社会主義派政治家の名前を配したジャパニーズパンクの元祖的存在バンドのボーカルMが、新しく組んだばかりのもの。
以前のMはライヴで豚の内臓を客席に投げつけたとか、ステージでマスターベーションをしたとか、およそ普通じゃない逸話ばかり残してきたカリスマだ。

そんなクレイジーなボーカリストがいるバンドとのツアーがどんなものになるのか、まだ22歳の金也の頭では想像がつかなかったし、後にして思えば、リハスタも経営していたその音楽事務所の他の人間が嫌がり、仕方なく新人の金也に回ってきたものだったのだろう。


☆☆☆
東北ツアー初日はフカヒレで有名な宮城県が誇る港町、気仙沼だった。
一足先に野外ステージの組まれた会場に着いた金也は「なるようになれ!」と思いながら音響機材をセッティングする。
ほどなくバンドメンバーの楽器車がやってきた。
金髪というにはあまりに奇抜な色の髪をした女、腕中タトゥーのいかつい男、一見しては性別不明の輩、最後に針金のように細い身体ながら圧倒的な存在感の男が降りてくる。それがMだった。

金也はこれまでにない緊張の面持ちで挨拶に駆け寄った。おそらく顔は強ばり声は震えていただろう。
「今回PAをやらせてもらうことになった音羽です。新人ですがよろしくお願いします!」
「あ~、こちらこそヨロシク。新人ねぇ〜、ま、頼むよ」と手を差し伸べたのはMのほうだった。

イメージとまったく違うじゃないか?イメチェンか?と金也は面食らったが、すぐにホッとした。
もし初対面から「うるせぇ!Fuckin'!」などと言われたら逃げ出したくなっただろう。

楽器をセッティングしてからが長かった。
リハーサルが思うように進まない。音がまとまらないしモニターもしっくりこない。やはり現時点での金也の腕前では無理なのか?
時間が過ぎると共に、Mのあのクレイジーな本性が現れ殴られるんじゃないか?と動悸が激しくなっていく。
ほらほら、なんだかこっち睨んでるし。そしてついに金也はステージに呼ばれた。

「スピーカーのチューニングさえうまく出来ていれば、生音をそのまま出しゃいいんだよ。俺達ちゃんとした生音出してんだから」はい。
「モニター、俺の位置に立って聞いてみろ。ほら中域が邪魔だろう?ここだけカットしてくれ。1KHzくらいか?」はい。
「重厚感のある音はバスドラムとベースより、むしろギターを大事に出すといい」はい。
「あとは新人君の好きなようにやってくれ」はい!

(この人、ほんとにパンクの人?いや、そういう問題ではない。ジャンルで決めつけていた自分が浅はかなのだ。ジョン・ライドンを思い出せ!論理的なオーディオマニアではないか!)

Mの根気強い指導のもと、やっとこさ本番に突入することができた。
するとどうだ?これが豹変ってやつだ!と金也は鳥肌が立った。
ステージの上には鬼気迫る形相で激しいメッセージを叩き付けるMがいる。臓器投げやマスカキはないけれど、唾を吐きちらすその目は狂気そのものであった。
これがカリスマパンクロッカーたる所以かぁ。こりゃステージ上で殺人だって犯しかねないぞ、マジで。
一体どっちのMが本当なのか一瞬で理解できなくなり、ライヴ後に楽屋へいくのが怖くなっていく金也であった。


☆☆☆
「おつかれ、新人!音はどうだった?」汗でぐちゃぐちゃになった悪魔めいたアイメイクをタオルで拭きながらMは言う。
「お蔭さまで何とかなったと思います。ありがとうございました!」
メンバーから笑いが起きる。
「お蔭さまなんてパンクっぽくねえなぁ〜。はじめて言われたぜ!」

楽器やPA機材の片付けを済ませ、宿泊先へ向かう。メンバーを乗せた楽器車が先導してくれた。
金也は安堵の気持ちで一人妄想に耽りながら車を走らせる。
もしやホテルの窓からテレビを投げ捨てたり、全裸で乱痴気騒ぎしたり、それとも車のままプールに突っ込んじゃったりして?
完全に妄想し過ぎではあったが、今日のパフォーマンスを見る限りそんなことを仕出かしても何ら不思議はない!と思わせるものだったのだから仕方なかろう。

どんどん人気のない山のほうへ入っていく。宿泊はホテルではなく何故か山の中の民宿だった。
また不安になってくる。
乱痴気騒ぎが他人に見られないようにこんなところへ?ここで自分が何かされたら生きて帰れるだろうか?明日のライヴで俺の内臓が飛び交うのか?
金也の妄想はいつだってきりがない。

しかし宿の老夫婦の「今年もよぐ来たっちゃなぁ〜」という出迎えの言葉に「どうも、元気だった?」と顔をほころばせたMを見て、ほっとしたようながっかりしたような、妙な気分で正気に戻る。
「あるわけないよなぁ〜、さすがに」


☆☆☆
部屋に荷物を置き、居間に集合しビールで乾杯した。
囲炉裏には鮎の塩焼きが縁日のように串刺で並んでいて、何枚かの大皿には自家製の漬け物やら笹かまやら大根と昆布の煮付けやらが並ぶ。

話題は多岐に及んだ。
ジョー・ストラマーはクラッシュ結成前ウッディ・ストラマーと名乗っていて、呼び名をジョーに変えたくて回りにそう呼ぶように強要したとか、PILのライヴ前BGMはマドンナやダイアナ・ロスなどがかかっていたとか。
そこまではいいが、ファシズムにおけるイデオロギーであるとか、はたまた減反政策についての日本の矛盾であるとかになると、金也はただ目を丸くして聞いている以外はなかった。

さすがに疲れていて一足先に眠りについた金也だったが、翌朝は一番最後に起きた(ようだ)。
タバコを吸いに縁側へ行くと、庭ではすでにメンバーがコーヒーを飲んでいた。
そして垣根の向こう側の道路からMが紙袋を持って歩いてくる。

「散歩してたら売ってたよ。はい、皆の分。ほら、新人君も食えよ」
甘いトウモロコシを差し出した、笑うでもなく睨むでもない表情が、何とも言えず恰好よかった。

その眉間のあたりに微かに刻まれた皺は、まるでBlonde On Blondeのディランのように凛々しかった。


音羽金也、22歳。何にも代え難いデビュー戦であった。



続く。。。
by higehiro415 | 2010-07-19 21:58 | 物語

小説・父と子

◇◇◇
彼はぼんやり仏壇を見つめていた。小ぶりだが木目が美しい、初めて自分で買った真新しい仏壇だ。
どうせならと何軒も仏壇屋を見て歩き、中でもセンスのいい(こういう物にこの言葉が当てはまるのかわからないが)ものを選んだつもりだった。
中に飾られた吊灯籠のやわらかな灯りが、1週間ほとんど寝ていない彼の目には優しく映る。

大晦日だというのに初七日なんて、ツイてないと思うべきか、それともこの時期じゃなければ仕事も休めずにいたことを考えるとツイてると思うべきか、彼はくだらない想いを巡らせていた。
つまりは、ようやく平静さを取り戻しつつある証拠でもあったのだろう。


◇◇◇
それは1週間前、クリスマスの午前中だった。
入院中の母を見舞いに行き「昨日お父さんも来てくれたんだけど、また喧嘩しちゃった」みたいな話を聞かされ、その後病院を出て仕事へ向かう車の中で携帯が鳴った。
母からで、何か忘れ物でもしたろうか?と電話に出ると「すぐに実家を見に行ってくれ!」と言う。

何事かと訊くと「町内会の役員仲間が、会合の時間になっても現れない父を迎えに行ったが出てこない。鍵はかかっているが障子も開いているし、テーブルは昨夜の晩酌のままみたいだし、とにかく様子がおかしいと連絡がきた」とのこと。
彼は「またかよ!」と言った。「酔っぱらって、どこかで寝てんじゃないの?」と。

高校卒業の4日後に実家を飛び出して以来一緒に住んではいなかったが、定年後の父が朝から晩まで大好きな酒を呑んでいたことを母や近所の人から聞いていたし、正直ちょっと面倒な気持ちもあった。
それに理由にはならないだろうが今日はクリスマスだ。

それでもいつも気楽な母がそう言うのだからと、車をUターンさせ実家へと向かった。
20分ほど走り実家の200mほど手前に来たとき、家の前に人集りができているのが目に入る。
呑気にジョンとヨーコのHappy Christmasの鼻歌なんぞ歌いながら運転していた彼だが、とたんに心臓の音が大きくなり、サブウーハーの低音の如く腹を突いてくる。
パトカーと警官もいるようだ。

平静を装い車を降りると、向いの家のヤンママが振り絞る声で言った。
「遅い!お兄ちゃん!」
彼はその一言ですべてを理解した。

低音は鳴り止み、代わりに何度も見たロンドンの濃い霧のように視界がぼんやりと曇る。
警官が「長男の方ですね?通報があったのでトイレの窓を壊して中に入らせてもらいました」
「それで、中はどんな?」
「お風呂で何かが起きたようです」
「何かってなんですか?」
「とりあえず中に入って確認して下さい」

その時ジーンズの後ろポケットの携帯がブルルと鳴った。友人からのメールだった。
「ジェームス・ブラウン死んだってさ!ファンキーなクリスマスになるぜ」


◇◇◇
死因はくも膜下出血による窒息死。好きな酒を飲み風呂へ入ったのだろう。
「母さんも入院中だし年末だし、妹は遠いし、嫁さんと別れたばっかだろ?1人じゃ無理だから誰か親戚に喪主を頼んだほうがいいって!」と近所のおじさん達。
「いえ、僕1人でやります。やらなきゃダメなんです。ただ何もわからないので教えて下さい」と彼は言った。
これまでしたことのない親孝行というやつ、あまりに遅すぎるけれど今しかないと感じていた。

時期的なこともあり葬儀は3日後に決まった。
感傷に浸る暇も余裕もなく準備をする。涙は出なかった。
葬儀の準備というものは、悲しみの現実から逃れさせるために誰かが考えたのではないか?と勘ぐりたくなる。
知らないことばかりだが不幸中の幸いとはこのことか、仕事で慣れ親しんだイベント制作に似てなくもない。

冬の雨の日。
通夜〜葬儀には続々と弔問客が訪れ、その数は葬儀会館の担当者を驚かせたほどだった。
特別な仕事をしていたわけでもない、ただ好きなことをし笑っていただけの父のためにである。
疎遠になっていた多くの親戚、子供の頃世話になった父の昔の仕事仲間、実家に寄り付かないため知らない顔も多い近所の人、そして忙しさにかまけ淡白な付き合いしかしていなかった友人たち。

その多くの優しさは、彼に父の急逝以上のショックを与えた。
遠くばかりを見て足下に目を向けていなかった自分の愚かさがショックだった。
自分は思いのままに生きてきた。
しかし、それは実はまわりに生かされてきたのだと、彼はようやく気がついた。

今まで何もしてくれなかった父が、最後の最後に大きなものを残してくれた。
彼は冷たい雨が降るしきる外へと駆け出す。
そして溢れ出る涙を悟られないように、思いっきり上を見上げる。
涙と雨が混じり合って唇の隙間を這う。
採れたての酸っぱい野苺の味がした。


◇◇◇
梅雨の合間、まるで温室にでもいるような蒸し暑さのなか、黒い墓石の前に彼はいる。
母をはじめ身近にいる大切な人たちの健康と幸せを、ただ亡き父に祈るのだ。
お参りといえば、いつも自分のことばかり願掛けしてきた彼だが、3年半前のあの出来事からは違っていた。
この場所で彼自身のことを何か願ったことは、あれ以来一度たりともない。

墓参りなど行かなくとも心の中で祈ればよいのだと言い訳して、以前は墓参りなどしてこなかった。
しかし、あれからは毎月のようにここを訪れ、山の草木を眺め、街の中とはあきらかに広さも高さも違う大空を見上げ、かすかに土の匂いがする空気をゆっくりと吸い込む。
そうすると、何故か心がすーっと晴れる。

墓石に彫ってある「笑顔」という文字も気に入っていた。
墓石にしては妙なその言葉は、彼が発案した。
父のトレードマークであったこと。墓参りにきてくれた人たちに笑顔で帰って欲しかったこと。
何より、これからも○○家はこうやって生きていくのだ!という彼の意思表示でもあった。

それにしても、いなくなってからのほうが父と会話する時間が圧倒的に増えた(これを会話とは言えないかもしれないが)というのは、どういう訳だろう?

上京したとき援助してくれなかったのは、頑張らせるための作戦だったのか?
クリスマスに逝ったのは、命日を忘れられないようにするためなのか?
聞きたいことは山ほどあるが、まぁそれは都合のいいように美化しておこうと彼は考えていた。

あの葬儀の日、進路問題でギクシャクした関係を完全修復しないまま遠くへ行っちまいやがって!と嘆いたが、むしろだんだんと距離は近付き、今ではようやく普通の父と子に戻れたような気がしている。


耳を澄ませば小川のせせらぎがストリングスのように響き、蛙の鳴き声が3度のハーモニーを奏でていた。



love & restoration.
by higehiro415 | 2010-07-05 00:13 | 物語

小説・少年の旅立ち

高3の夏休み、横浜の親戚のところへ遊びに行った。
まぁ、それは大義名分で、親に内緒で東京の専門学校を下見するのが目的だったのだが。

音響芸術科…
当時関東以北には東京(それも2校)にしか、その学科はなかった。
レコーディングエンジニアかコンサートPAエンジニアを夢見ていたのである。

いちおう進学校に通っていて地元の教育大学への推薦もほぼ決まっていたが、子供の頃から「学校の先生になれ!」と親に言われてきた反動もあったのだろう。
敷かれたレールの上を歩いていくことに疑問を感じていたのも事実だ。

何より若い頃は無謀だし(それが特権でもあるのだが)現実など考えることもなく、ただひたすら夢を追いかけたかった。
いや、正確には他のことは目に入らなかったと言うべきか。

反面、田舎モンの不安も大きく、心のどこかで下見をして怖じ気づけばあきらめもつくとも思っていた。
東京って、なんか怖かったし(笑)
そんな複雑な心境で、西新宿にある専門学校の受付に資料をもらいに行った。

そしたら「いま授業やってないので実技室でも見学して行く?」と言われたので、せっかくだからとレコーディングRoomとPA実習ホールを見せてもらった。

当時の自分が見たこともない高級そうな機材が揃っていて、見ただけで圧倒された。
同時に「こんな機材を操って音を創造してみたい!」と体中に電流が走った。

帰り際には資料の他に入学願書ももらって学校を後にした。
そしてそのまま新宿のデカい本屋へ行き「PAエンジニアAtoZ」とか「ミキサーはアーティストだ!」とか「音響ガイド」とかの専門書を買い込んだ。

1週間ほど親戚の家に泊まりあちこち遊んで仙台へ帰る予定だったが、居ても立ってもいられなくて3日で仙台へ戻った。
親を説得するためだ。

しかし現実はそう甘くはない。
いくら説明しても、サウンドエンジニアなんて仕事は想像以上にマイナーだったし、そんなので食べていけるわけない!と、親は頑として首を縦には振らなかった。

高校の担任は「大学出てからそっちの勉強しても遅くはないぞ」と言った。
「どうせ勉強するなら1日でも早い方がいい!4年間も無駄にしたくない!」とこっちも譲らない。

秋になった。
両親とは顔も合わせず、口も利かない険悪な日々が続く。
高校ではほとんどが大学進学を目指す同級生と話題が合わなくなっていく。

そんな状況が決して楽しいはずはなく、しかし何か目的を達成するためには犠牲も必要なのだ、と学んだ時期でもある。

冬が近づいたころ強硬手段に出た。
誰にも言わず、例の専門学校へ願書を提出。
保証人の印鑑も隠れて勝手に押した。

入学試験は、また親戚の家に遊びに行くと嘘をついて受けに行った。
そして合格通知がきた。

こうなれば親も了承するだろうと高をくくっていたが、逆に激昂された。
「大学以外なら金は一銭も出さない!」
「自分で何とかするからいい」

高校の担任には「僕の推薦枠は他の優秀な奴に使って欲しい」と伝えた。

そこから入学までの間は奨学金の試験を受けたり、住み込みアルバイトの手配をしたり、友人達と最後の仙台生活(当時はもう戻る気はさらさらなかった)を謳歌したり。
もちろん音響の本を読みあさり、コンサートへ行きPA機材を研究することも忘れなかった。

そして親との交渉は決裂したまま、高校卒業の4日後に家出同然で東京へ旅立った。
辛いと予想していた初めて出来た恋人との別れも、悲しくはあったけれど、これからの希望のほうが大きかった。
申し訳なかったけど。

それでも、まだ18歳である。
電車の中では不安と、これで良かったのか?という自問自答で涙が出た。

こうして学費も生活費もすべて自分で稼ぎながらの、意地でも引き返すことの出来ない修行のような東京ライフがスタートしたのだった。

19歳になるちょうど1ヶ月前。
ユキヤナギの花が、まだ少し冷たさの残る風に吹かれていた。


love & youth.
by higehiro415 | 2010-07-02 19:47 | 物語