佐藤ヒロユキ。仙台在住のMOD音楽職人(サウンドエンジニア&プロデュース/レーベルなどやってます)アナログレコード好き1963年生まれ。GROOVE COUNCIL代表。http://groovecouncil.jimdo.com/


by higemodern
カレンダー
S M T W T F S
1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30

<   2010年 09月 ( 3 )   > この月の画像一覧

Go ! 60

初めてRCサクセションをちゃんと聴いたのは、16歳のときだったろうか。
井上陽水のアルバム「氷の世界」でRCと清志郎の存在は知っていたが、レコードは持っていなかった。
宝島(懐かしい!)か何かで吉見祐子さんが、彼らのアルバム「シングルマン」を再発させる委員会のことを話しているインタビューを読んだのがきっかけだった。

同じ団地に住んでいたオノヨーコ似のお姉さんがそのレコードを持ってるらしいと聞き借りに走った結果、レコードは傷付けられるといやだからカセットテープでいい?とダビングしてもらったのだった。
「こんど加入するギタリストが、これまた素敵なんだよね〜」とも言っていた。
ラジオで何回か耳にした曲ではあったが「スローバラード」を聴いて何故だか涙が止まらなくなったのを憶えている。

その翌年には「RHAPSODY」が発売され僕もまわりの友人も夢中になり、ジョン・レノンの死を挟み、’81年には仙台郊外(スポーツランドSUGO)で開催された野外フェス「R&R OLYMPIC」に出演したRCを観て、完全にノックアウトされた。

19歳の時に武道館でのライヴを見に行ったときは(これは恥ずかしくて今まで隠していたが)、なんと専門学校の友人とド派手な服を着、友人は顔に濃いメイク(清志郎風)、僕は薄化粧に髪をパイナップルのように立てバンダナをし(チャボ風)出掛けたものだ(笑)

UK指向の僕がそんな風になるのだから、やはりRCの影響力は凄かったのである。

‘90年は前述した「R&R OLYMPIC」が10周年で、偶然だが僕は当時その主催側で仕事をしていて、何としても第1回目にトリを飾ったRCを出演させるべきだ!と社長に直訴。
レコード会社と事務所にオファーをしたところ、10周年だからとあっさり出演を承諾してくれた。

ステージでの第一声は「こんな山奥にようこそ!10年ぶりにやって来たぜ〜。R&Rオリンピック、ベイベェ〜」
フェス当日は観客は元より出演者(ジュンスカの和弥やグレリチのまもる、どんと、ロティカのあっちゃんなど)が大はしゃぎで、清志郎はフェスのしめくくりのセッションのホスト役も快く引き受けてくれて大いに盛り上がった。

僕は全体を取り仕切る役目だったのでバタバタしていたという理由もあるが、あまりの緊張に「よろしくお願いします!」だの「10年前も観ました」だの「お疲れさまでした。サイコーでした!」くらいしか言葉を交わすことは出来なかった。
(清志郎さんとは、あれが最後の会話になってしまった)

何だか前置きが長くなってしまったが、あれから20年。
まさかこんなチャンスが巡ってくるとは夢にも思わなかった。
先週末の「仲井戸~CHABO~麗市」との仕事のことである。

今年のはじめ、すでに事務所&イベンターサイドからオファーというか探りの電話はきていた。
還暦を迎えるCHABOさんが小さな会場で60本のアコースティックツアーをやるので、東北でのPAエンジニアを探していると。
君は仙台にいながら全国ツアーを回ったり、腕もなかなからしいし、各地に顔も利くようだね?と。

結果的には僕のスケジュールが他のツアーでNGになったり、その土地ごとの人たちとの交流も大事にしたいというCHABOさん側の意向もありラストだけとなったが、まぁ贅沢な時間を過ごすことが出来た。

再会の前日は、遠足の前の日の子供のようであった(笑)
さすがにCHABOさんが20年前に挨拶程度の会話しか交わしていない僕を憶えているわけはないので、何か一瞬で打ち解けられるものが必要だなと考えた。
サウンドチェックで使うCDにはストーンズを用意した。

そして悩んだのが当日着ていくTシャツだ。
自分でも笑っちゃうが、大の大人がTシャツ1枚で仲良くなれるものか?
でもCHABOさんなら!と予想していた。何か話題を探すより手っ取り早いはずだと。
ただ、それには反応してくれるモノじゃないとダメだ。

ストーンズは在り来たりだし、スライやビートルズも今ひとつ弱い気がした。
これだ!
選んだのはDr.FEELGOODのレアなTシャツだった。
昔のインタビューでウィルコ・ジョンソンのこと好きだと言ってた気がするし。
めっちゃ反応するかスルーされるか、僕なりの賭けだった(笑)

当日昼過ぎ、会場にCHABOさんが入ってくる。「おはよ〜」
イベンターが僕を紹介する。
「きょうPAをやってくれる佐藤ヒロさんと言って・・・」

その言葉を遮るように、満面の笑みのCHABOさんがグーで僕の胸をつついてきた。
「フィールグッドじゃん!どうしたの、これ?ウィルコ・ジョンソンのギター、カッコいいよね。ズズチャ、ズズ♪ってさぁ」と弾く真似をする。

今日はよろしくお願いします!という挨拶は、フィールグッドや鮎川誠さんの話でひとしきり盛り上がってからだった。

スピーカーのチェックでかけたストーンズのHot Stuffも喜んでくれ、鼻歌を歌いながら後ろのPA席にいる僕を指で作ったピストルで撃つジェスチャー。
いちいち様になっているからカッコいい!

リハが始まるときギターを担いでまず弾いたのは、ウィルコ・ジョンソンのフレーズ。
少年のようにニヤリとしながら、僕を見て親指を立てている。
失礼だが、とってもチャーミングだ。

CHABOさんと僕の、子供じみた音楽バカゆえの交流劇であった。

もともとそうなのか、一気に打ち解けたからなのかは分からないが、音に関しては任せるから好きにやっていいよ!と言ってくれ、とてもスムーズにリハが進んだ。
あの名曲のフレーズで、今日は曲のこと♪わかっていてくれる〜♪から楽でいいなぁ〜と言いながら、普段の半分の時間でリハを終えた(らしい)。

このツアーはベースの早川岳晴さんとCHABOさんの2人。
基本はアコースティックだが、ギター7本にベースが5本あるので、ステージは楽器で一杯だ。
曲によってそれらを弾き分け、何曲かはリズムボックスを使用する。

まだツアー中なのでネタばれしない程度にしか書けないが、とにかくショーアップされたライヴで、これぞエンターテイメントだ!と思った。
大きな会場でしか観たことなかったが、小さいところでもアクションは同じだ。
ギターはもはや楽器ではなくCHABOさんの体の一部と化している。

2人のアドリブはサイズが決まってないようで(いや本当は決まっているのかもしれないが2日とも違って聞こえた)、ノリに任せて弾きまくる。
アコギでも完全なるロックンロール/リズム&ブルーズなのである。

思い出のナンバーもちょっとだけ披露してくれ、客席は大合唱と涙に包まれる。
昔のエピソードを交えた感動的なMCもあった。

そして鳴り止まぬアンコールにこたえライヴが終わったのは、開演して3時間半以上過ぎたころだった。
ものすごいエネルギーではないか!

とにかく凄いとしか言いようが見当たらない。
上手いとかイイとかそんなんじゃなく、CHABOさんは「仲井戸CHABO麗市」という1つのジャンルなのだと実感した。

もはや伝統芸能のようなものとして捉えたほうが、いいのかもしれない。
それはストーンズがそうであるように、孤高のレジェンドとして輝き続けるという意味で、である。

東北ラストの福島でのアンコール、恒例のスタッフ紹介。
「僕がいまだにやれているのも、こうしてライヴをやらせてくれる店があって、それを支えてくれるスタッフがいるからです。みんなに紹介させてくれ〜。

お店の店長○○さん、ありがとう!またここでやらせてください。
イベンターの○○さん、楽しい東北ツアーになりました、ありがとう。
照明○○さん、いろいろ要望に応えてくれてサンキューでした。
楽器○○、いつもありがとう。もう彼はメンバーの1人です。

そして昨日の仙台も来てくれました。PAの佐藤ちゃん!ストーンズもいいけどフィールグッドもサイコーだよ。ズズチャ♪またPAやってくれよな〜」

f0210751_17172160.jpg

音楽の世界を志して30年。

単純な理由ではあるが、いろんなものが報われた瞬間だった。


またいつか会えるといいな。
by higehiro415 | 2010-09-26 17:33 | 音楽

光速を超えて

坂本サトルwith His Bandツアー“光速を越えて”
4年ぶりのバンドツアーは、9/20の仙台公演をもって大盛況で終了した。

5本だけのツアーだったが非常に密度が濃かったので、倍ぐらいやった気がする。
遅ればせながらPA担当の僕なりに、ツアーを振り返ってみようと思う。


9/1東京で最後のリハ。

翌日は大阪への移動だったし、本番前に一度ちゃんと聞いておきたかったので、僕もリハスタに駆け付けた。
曲は全て知ってはいるが新しいバンドアレンジを施しているものやジガーズ時代の曲、そして今まであまりやらなかった曲がセットリストにあったので、生の演奏を聴いてイメージを作っておきたかったのだ。

それに僕のPAエンジニアのスタイルとして、細かいニュアンスもライヴ感そのままにスピーカーから出したいと思っているので、メンバーのみんなの手癖や演奏する姿もインプットしておきたかった
例えばフィルを叩く時のCherryさんのスティックの動き、ギターをかき鳴らす時の光くんの腕の勢い、ソロを弾く時の達也さんの体のくねらせ方、タメを出す時のマットの表情などなど。
サトルの癖はソロをだいぶやらせてもらっているので、ほぼわかっている。

ここでソロが来るとかはもちろん曲で憶えているが、みんなの癖を知っていると、より本人たちの演奏のニュアンスを汲み取れるし、ダイナミクスを生かして曲の表情を鮮明にすることもできる。
何より瞬発力とキレのあるフェーダー操作ができる!というのが僕の持論なのだ。

何を言っているのかわかりづらいかもしれないが、例えば力を込めてドンとドラムを叩けば大きな音が鳴る。
それでいい時もあれば、もっと目立たせたほうがより印象的に聴こえることもある。
逆に大きく聞こえ過ぎて浮いてしまわないように、その瞬間だけバランスを取る場合もある。

ほんの少しの色付けではあるが客席によりよい印象を与えるために、微妙な一瞬の調整が大事な場合が多々あるのだ。
リハを聞きながら曲ごとのイメージを具体的に出来たので、参加して正解だった!

僕なりのテーマとして「心に響く温かい音」を出すように心がけようと決めた。


9/3大阪・心斎橋QUATTRO

初日ということで入念なリハを行う。
直前に決めたアレンジなどもあったようで、本番は全員が手探りの部分があったと思うが、それを差し引いても軽々と合格点を突破するレベルの高さを見せつけてくれた。

光くんに預けたというセットリストも新鮮だった。

僕は初めて仕事する小屋だったが、搬入口を除けば(PARCOだからね)とても使いやすく、ナチュラルな音の響きが気に入った。

ツアー前に喉の炎症を起こしてしまい、翌日の移動と次の東京公演を考えて、大事を取って泣く泣く打ち上げは欠席した。
具合が悪くなると耳の聴こえにも影響するからだ。

にしても呑めなかったことより、メンバーとの反省と交流が出来なかったのが悔やまれる。


9/5東京・下北沢GARDEN

前日、大阪からの移動前に病院に行けたし、東京に入ってからはマットと2人ホテル隣の「バーミヤン」で軽く乾杯し早めに休んだので、体調はだいぶ回復。

大阪での反省を生かした修正と、この日はライヴDVD制作のため撮影も入るということで、開場ぎりぎりまでチェック&リハが続く。

本番は大阪よりだいぶリラックスしつつも、DVD撮影のためか少し力んだところもあったようだが、それが逆に勢いとなり客席に伝わった。
とてもパワフルなライヴになったと思うし、DVDが待ち遠しい。
あの楽しげな登場シーンが形作られたのも、この日の収穫だったのではないだろうか。

山寺宏一さん、瀬木貴将さん、鈴木達也くん、今井千尋くん、谷口崇くん、石嶺聡子さん、花房彩子さん、アントニオ古賀さんなどゲストも多く、華やかな雰囲気が終演後の楽屋には漂っていた。

僕の音のほうだが、何度かこのホールでは仕事しているが、PA席(ハシゴで上る屋根裏にある)の位置と横長の形状のため、バンドサウンドをうまく響かせるのにやはり苦労した。
聞く場所によっては物足りなく聴こえたところもあったようなので、次への課題としてもっともっと腕を上げなければと心に誓う。

サトル行きつけのホルモン屋にて打ち上げ。
この光景も、よりバンドっぽくなってきたように見えた。


9/11札幌・KRAPS HALL

僕とサトルと楽器クルーの阿部ちゃんはフェリーでの長旅になったが、それはかえって小旅行気分が味わえて、いい気分転換になった。

ライヴのほうはと言えば、前回から5日空いていたので演奏の感覚がどうかと密かに心配していたが、まったくの杞憂だった。
少し間が空いたことで、かえって考え過ぎず新鮮に曲に向かい合えたのだろうか?

何より観客の大声援とノリノリの雰囲気が、みんなのテンションを更に上げたのは間違いない。
裏方の僕までもが、ハイな気分になる。

修正を重ねながら本番を2回こなしたことで、バンドの一体感が増してきたと同時に、サトルの歌の表現力もグンと深みを帯びてきたように感じた。

僕の音のほうも、細かい部分までバンドの呼吸に合うようになってきて、ようやく少し余裕が出てきた。
それでも初めて使うスピーカーを攻略しきれず、もうちょい硬い音にしてもよかったのかなぁ?などと、欲は深まるばかりだ。

打ち上げはススキノの炭火焼居酒屋(楽器の阿部ちゃんと達也さんの知人)にて。
楽しく呑みながらも、残り2本のために反省も欠かさないメンバーなのであった。
阿部ちゃんは次の週末は他の仕事が入っていて、今日がラスト。
いい仕事してくれた!


9/19青森・クォーター

僕は前日の福島での別現場でヘトヘトの中、当日朝に車で青森入り。
会場は昔からいろいろなアーティストの仕事で何度も訪れている、親しみのある場所。
勝手知ったるオーナーが温かい笑顔で出迎えてくれ、1年ぶりの固い握手。
お互い地方都市で頑張っている共通項がある。

残り2本の楽器クルーはCherryさんとも仲がいいBuddyさん。
照明はジガーズサン時代からのベテラン人情照明屋・馬場さんだ。

Cherryさんは前々日・前日と頭脳警察のライヴで疲れが出たのか、風邪をひいたようだった。
光くんは他のプロデュース作業を平行しており、徹夜で会場入り。
達也さんも忙しい人だし、マットはライヴの日以外は実家のりんご農園の過酷な仕事をこなしている。
サトルも映画音楽の仕事や楽曲提供の仕事を抱えて多忙で、このツアーにだけ掛かりきりになれる状況ではないのが現実だ。
そういう僕だって然り。

しかし、この日はサトルの生まれ故郷ということで各関係者や親戚なども大勢駆け付けるし、そんなことを言っている場合ではない。
バンドで青森を訪れるのは11年ぶりだそうで、何よりそれを心待ちにしている方々にイイものを見せたい!という気合いが全員にあったと思う。もちろん僕にも。

青森は比較的おとなしいイメージがあり、案の定スタンディングスペースには誰も来ず、仕方なくイスを並べることになった。
しかし、あのSEが始まりメンバーが登場すると客席は総立ち。良かった!

1曲目から、グルーヴが音の塊となり客席に容赦なく降り注ぐ。
あれは脳天にくる!本当にみんな疲れているのか?
いや、だからこそ魂と気力で演奏し歌うしかなく、結果それが凄まじい波となり押し寄せたのだろう。
演奏の質もより高くなり、彼らの底力をまざまざと見せつけられたライヴだった。

この日からアンコールで達也さんが思う存分動けるよう(笑)アコーディオンにはワイヤレスマイクを導入した。

僕は使い慣れたホールなので、疲れてはいたが余裕があり、小技が何度も決まった。

夜に全員が仙台へ移動のため、打ち上げはなし。
味噌カレー牛乳ラーメン!を食べてから仙台へ向かおうとなったが、僕は翌日早く会場入りなので食べずに出発。
帰り際オーナーに「次は泊まりで来てな〜」と言われ、強くうなずく。


9/20仙台・エルパーク仙台スタジオホール

ここで仕事をするのは5年ぶりくらいだろうか。
サトルに至っては15年以上ぶりだと言う。

このホールはファッションビル(今は三越)の6階にあり、ライヴホールというよりは発表会や演劇などにも使われる多目的スペースだ。
なので通常は舞台がないフラットな箱のような感じで、照明もあまり数は多くなく音響はカラオケ程度のものしかない。
そこにいかにイイ感じで会場を作るかという前段階から、ファイナルへの準備は始まっていた。

ファイナルであるし、サトルには縁の深い街だ。そして僕の地元でもある。
少しでもカッコよくて音のいいライヴ環境を作ろうと、各方面に協力をあおいだ。

舞台監督の山品さん。今は仙台在住ながら昔からThe BOOMなどを手掛けている。サトル本人ともジガーズの頃からの付き合いだ。
照明は前日に引き続き、魔法使いと呼ばれる馬場さん(from東京)と、仙台からも腕のいいチーフ格がピンスポをやってくれることに。
楽器は昨日と同じド迫力のキャラを持つ職人Buddyさん(from東京)。

僕のアシストをしてくれるPAの機材とスタッフは、昔からお世話になっている仙台の大手PA会社が破格値で提供してくれ、特にスピーカーは、わがままを言っていいやつを持ってきてもらった。
物販は以前サトルのマネージャーをやっていた日吉くん夫婦と、昔からスタッフをやってくれている門馬さんが東京から手伝いにきてくれた。
受付にはイベンターGIPの門馬くん、Lapland社長の小林氏。
これだけ揃えば鬼に金棒である。

朝の9時前から機材搬入、舞台作り、セッティングと徐々に本番を迎える準備が整って行く。
昼過ぎにはメンバーも会場入りし、サウンドチェック〜リハへとなだれ込む。

みんな疲れはピークのはずだが、そんな感じは微塵も無い。
ファイナルを最高の形で飾る!という気合い、プロ意識、レベルの高さ。
それぞれの曲もいい感じでメンバーの中に染み込んでいて、まるでパーマネントのバンドのようだ。
本番はどんなことになるんだろう?というワクワク感に包まれる。

サトル本人はもちろん、バンドメンバーもスタッフも全員「いい仕事するぞ!」と意気込んでいるのだから、悪くなるはずがないと信じて本番を待つ。

開場しお客さんが次々とフロアのイスを埋め尽くして行く。
マスコミをはじめとする関係者の数もとても多く、あっという間に後ろの立見スペースも満杯になった。
僕らと同じように、本番前は会場全体が期待と緊張の雰囲気で包まれた。

定刻5分すぎにオープニング・アクトの演歌歌手、ヨシヒデが登場。
彼は仙台と青森で放送中のサトルのラジオ番組に、相方として出演中の面白い奴だ。
まったく告知していなかったのではじめ戸惑っていた客席だが、彼のキャラと歌の巧さでリラックスしつつ会場が一体化していく。
(しかし、ヨシヒデが出ると僕も含めみんなに知らされたのは、リハ終了直前であった。伝えるのを忘れていたのは、もちろんサトルだ!w)

そしていよいよ!
僕がSEをスタートさせた途端、歓声と拍手が鳴り響き総立ちになる。
メンバーがステージに登場しライヴは始まった。

途中、客席の声に応えるかたちで、ジガーズ時代の名曲「オートバイに乗って」のサビを披露。サトルとマットの兄弟ハーモニーに観客がおおいに沸く。

ライヴは、月並みだけれどめちゃくちゃ良かった!最高のパフォーマンスと演奏だった。
多くの人が感じたと思うが、成熟した大人にしか出せない音と言ったらいいだろうか。
うまく言葉では表現できないが、とにかくパワフルかつ繊細な音の塊が放出された。

ガツンとくるところと、ス〜ッと引くところが絶妙のバランスで配合され、会場全体がちょっとしたトリップ感覚に陥っていたようだ。
僕までもがそうだった。それだけ気持ちよかった!

だから正直、僕の音のほうは冷静に振り返れない。
でも少なくとも、このツアーで最高の音だったことだけは確かだ。

そんな感じでツアーは終わった。
打ち上げは30人はいただろうか。この日が誕生日だったマットへのサプライズケーキなどもあり、こちらも盛り上がった。
ツアーblogに光くんも書いていたが、また一緒にやりたいメンツだったなぁ。

ツアーの総括を僕なりにするとしたら、1つだけどうしても言いたいことがある。
それは頂上を目指して努力し、積み重ねてきたものの重みと美しさだ。
サトル本人、バンドメンバー、スタッフ。
こんだけの信頼できるハイレベルなベテランプロ集団が揃い、ひとつの目標に向かっていく姿は、ほんとうに感動的だった!
そういう重みがストレートに伝わったツアーだったようにも思える。

最後に、懲りもせず僕を指名してくれたサトル、優しく接してくれたメンバーのみんな、協力してくれたスタッフと各地の関係者の方々に、この場を借りてお礼を言いたい。
そして各会場に足を運んで声援を送ってくれた皆さん、本当に感謝である。
ありがとうございました!
by higehiro415 | 2010-09-25 20:18 | 音楽

小説・R&Rダイナマイト!

★Glimmer Twins ?
「短い単語がいいよなぁ、やっぱり」
「うん。一語だね、絶対」
煮詰まった2人は英語の辞書を無作為にめくりながら、頭を捻らせていた。
これまでに何度も話し合ってきたが、どれも決め手に欠けていて、この日だけでもすでに4時間は経つ。

今日こそは決めようと岩垣の部屋を訪れた音羽金也は、気分転換にとターンテーブルの上にレコードをのせ針を落とす。
乾いたギターカッティングにシンプルなドラムが絡み、ベースとピアノのブリッジのあと色気のあるヴォーカルが「ホ〜ット、スタァ〜ッフ」と曲のタイトルを繰り返す。
憂いのあるメンバーの顔が大写しにされたジャケの、金也の大好きなアルバムだ。

スリーピースだったので三日月の意味を持つNu:Moon(NewをNuとしたのは、ルースターズの曲を参考にした)、その後4人編成となり好きなギタリスト、ウィルコ・ジョンソンからヒントを得たSolid Sendersと続いた。
しかしメンバーチェンジを機に本気でバンド活動をやろう!と決めたヴォーカルの岩垣とギターの金也は、バンド名も新しく変えて心機一転を目論んでいる。

ドラムには金也よりも6歳下のティーンエイジャーで、某バンドを脱退したばかりの喝彦を引きずり込んだ。
お調子者の彼は最近まで、若いくせに(ゆえにとも言えるが)女性性器を連想させる卑猥な名前のパンキッシュなR&Rバンドにいた。
名前に反してグラマラスで神秘的な魅力を持ったそのバンドは、仙台では驚くほどの人気で、ライヴはいつも満杯だった。

もう1人は、某大学サークルで渋いブルースバンドをやっていた玖珂を引き入れた。
鮎川誠のような黒サングラスをかけ、淡々と寡黙にベースを弾くルックスに惹かれた。
ようやく、金也が想い描くイメージに近いバンドメンバーが揃った。

「おっ、これよくない?」
辞書めくりに飽き飽きして、ゴルゴ13を読んでいた岩垣が言う。
コルト45口径の拳銃について書かれたページに、悪い奴をやっつけるのに使われるから隠語ではPeacemakerと呼ばれる、とある。
ピストルなのにピースメーカーねぇ・・・語呂も意味も悪くない。
バンドだからSを付けよう。小文字表記で、あえてTheは付けないほうがカッコいいよね。

こうして peacemakers は産声を上げた。


★喝彦
俺は今までそこそこいいドラマーだったはずだ。
それが急に首だってんだから、あいつらにはこっちからFU○Kだっつうの!
まぁでも、捨てる神あれば拾う神ありってか?いや、タナボタっつうの?こういうの。

カッチョイイなぁと思ってた岩垣さんと音羽さんのニューバンドに誘われちまった。
これまで通り岩垣さんが歌詞を書き、音羽さんがメロディーとアレンジを考えるんだろう。
何でも、セルフプロデュースにも力を入れるって言ってたな。

俺、デザイン得意だから、バンドのロゴとかステージに飾るModな看板とか作らせてもらおう。
ん?瓦版のような情報発信もやったほうがいいな。あの2人そういうのマメじゃなさそうだし。
あとは、そうだなぁ・・・ステージ衣装も大事だぞ!

とにかく若さを注入してやるぜぃ。ひゃっほ〜!


★玖珂
「お前、音羽さんのニューバンドに入るんだって?」
「まぁな」
「今度はどんなバンドやるのかねぇ?」
「さぁな」
「少しはどんなのか話聞いたんだろうが?」
「UKパブロックをModsっぽくしたやつ」
「Dr FeelgoodとThe Whoを足して2で割った感じってこと?」
「The WhoじゃなくSmall Facesらしいが」
「でもお前、あの人たちの作る曲のベースなんて弾けるのかよ?」

「たぶん。難しい曲嫌いな人たちだし」


★peacemakers
始動してから月に2回ほどのペースで、あちこちのライヴイベントに出演しまくった。
巷のイベントは持ち時間30分が相場だったが、少しでも多くの曲をやりたいがために、作るオリジナル曲のほとんどを3分程度にした。
他のバンドが軒並み5曲のところ、彼らはMC無しで8〜10曲演った。

セットリストを毎回大幅に変えるために、練習のほとんどは曲作りとアレンジに費やした。
シンプルな曲が多かったが、リーダーである金也は「いい曲は小細工しなくてもいい曲なんだ」と口癖のように言っていた。
ポール・ウェラーの受け売りだった。

程なくして、何が功を奏したのか見に来る客は倍々ゲームで増えて行き、もっと自由に長く演奏したいと考えた。
イベント出演を一切やめて、気に入ったバンドを誘い自らライヴを企画するようになっていく。

イベントタイトルは Live For Today と名付けた。


★ニカchang
私は同僚カメラマンの送別会の帰り、1人ほろ酔いで一番町を歩いていた。
とは言っても、アルコールの弱い体質なのでモスコミュールを1杯半しか飲んでいない。
あとはもっぱら食べることと喋ることが、飲み会でのいつもの私の役目だ。

女子高生らしき2人がShallビルの前にある電柱を「なに?これ」と繁々と見ている。
「ただの電柱でしょうが!」と思ったものの、何となく気になった私は天の川を見上げるフリをして立ち止まる。
誰かさんの名前で相合傘でも書いてあるのだろうか?

女子高生が立ち去ったのと、まわりに通行人がいないのを確かめて、電柱に顔を近づける。
そこにはトリコロールのステッカーが無造作に貼ってあり「7.14 Dac Hall」とだけ記されている。
確かに「なに?これ」だわと、先程の女子高生に詫びる気持ちになる。

7月14日、つまり来週の土曜日にDac Hallで何があるわけ?
怪しげな集会にしてはトリコロールはポップすぎるけれど、胡散臭さがプンプンだわ。
でももし何か面白い出来事があるのだとしたら、仕事道具の一眼レフカメラを担いで行ってみるのもいいかも。スクープ撮れるかもしれないし。

気が変わらなければね、と自分に前置きして手帳の予定表に「トリコロール?」と書き込んだ。
タクシーを拾うために勾当台公園まで歩く道すがら、何枚も例のステッカーを見かける。

やっぱり、怪しい集会かも・・・。


★新谷
故郷である仙台へとひた走る新幹線の中で、知人が店長を務めるレコードショップから送られてきた資料に目を通している。
仙台を訪れるのは2年ぶりだろうか?
最近は東京での仕事が猛烈に忙しく、余裕がなかった。

新谷耕造は新宿にある老舗、いや日本のロックシーンを支えるライヴハウスのブッキングを担当していて、ここのところ雨後のタケノコのように出てくる若手バンドをチェックするのに余念がない。
いま仙台へと向かっているのも、そのレコードショップ店長に仙台のインディーズシーンについて情報を求めたところ「最近すごく話題になっているR&Rバンドがいる」と聞いたからだ。

そのバンドをどうしても見ておきたいと思うのは職業病か、それとも勘か?
いや、少し早い夏休みを取って里帰りを兼ねているだけだ、と自分に言い聞かせてみる。

送られてきた資料によると、キャッチコピーは「これぞ電光石火!3分間のR&Rダイナマイト」とある。何なのだ、これは?わかるようで、わからない。
オリジナルはすでに50曲以上あり、カヴァーにはYardbirdsやDr. Feelgoodなどの他に、MotownやHiのナンバーも並んでいる。
20代にしてはなかなか渋いし、何より新谷好みであった。

東北の某音楽雑誌に載ったインタビューを読むと、その生意気ぶりも気に入った。
Q.最近のバンドシーンをどう思う?
岩垣「そんなの考えたことないね。アメリカとイギリスのシーンにしか興味ないもん。しかし安易な質問だなぁ〜」

Q.ライヴではいつも、若いギターキッズ達が目の前に陣取ってるよね?
音羽「どんなに見ても俺と同じ音は出せないよ。エフェクター使ってる訳じゃないし。見る前に感じろ!と言っといてよ」

Q.自分たちの今の人気の理由は何だと思う?
玖珂「カッコいいから」

Q.ライヴの動員の多さを見ると、チケット売り大変じゃないかな?とか思うのですが。
喝彦「少し前から手売りはやめてプレイガイドと当日券だけにしたので苦労はないよ。人気者がチケット買ってくれ〜、なんてダサイじゃん。でしょ?あっ、そうでもない?」

グラスルーツの名曲から採ったという「Live For Today」と題された彼らのイベントは、今や仙台のインディーズの動員No.1だという。

噂によれば彼らのファンの女の子はオシャレさんが多く、地元ではPギャルと呼ばれちょっとした社会現象になっているようだし、テクニックというよりはサウンドとステージング見たさに、地元のバンドマンが大勢見に来ているという。

また、彼らが対バンに選ぶバンドはどれも質が高く、その評判を聞きつけた先物買いのバンドファンや音楽業界の人間が関東からも足を運んでいると聞いた。
当然東京のツアーバンドからの出演希望も多いようだが、それでも頑に「プロだろうがアマだろうが、自分たちがイイと思えなきゃお断り」というポリシーを崩さないらしい。

そんな媚を売らないスタンスも、新谷が興味をそそられる理由のひとつだった。

車内放送が流れ新幹線が停まる。2年ぶりに仙台に降り立つ。
駅前には新しいビルがいくつか建ったようだが、基本的な景観はあまり変わってないな。
目当ての会場となるDac Hallに歩を進めると、電柱に何か貼ってあるのを見つけた。

「Sat.18:30 peacemakers」とだけ記された、トリコロールのステッカーだった。


★Rickenbacker
僕の名前はmodel 330。相棒はVOX-AC30君。
peacemakersのメインギターとして、曲作り、リハ、そしてステージ…約5年間、連中をそばで見守ってきたんだ。

そりゃ大事にされてきたよ。
たまにはマイクスタンドでこすられたり頭上に放り上げられたりもしたけど、アンプに叩き付けられなかっただけマシさ。
ボーリング投法のように振り回された腕で、弦をジャ〜ン!とかき鳴らされる時が一番の快感だったなぁ。

思い出はたくさんあるよ。
打ち上げで、隣座敷の大学生サークルと大乱闘になり中央署に1泊したりとかね。
金也は「カツ丼は出ないのかなぁ〜」なんて呑気なこと言ってたけど、取り調べで「そのケースの中を拝見します」と開けられ警官と目が合ったとき、僕はかなり緊張したもんだよ。

それからライヴ前に怪しいドリンクを飲みすぎて岩垣が具合悪くなり、ボーカル不在でステージこなした時は、さすがの僕もちょっとビビったね。

突如現れて「私に写真撮らせて!」と詰め寄ってきたカメラマンのニカchangとは、ジャケットやポスターの撮影であちこち行ったなぁ。
年賀状用ポストカードの写真を撮りに行った石巻の工場地帯、なかなか雰囲気あって特に印象に残ってる。
ただケースからあまり出たくなかったんだよね、あん時。
だって、海風ってすぐに錆びるんだもん。ペグとかピックアップとか体のあちこちに錆の模様ができちゃってさ、せっかくの日々の僕の美肌ケアが台無しになったっけ。

あっ、ニカchangと詩人とのコラボで、連中の写真集みたいなの出たことあったなぁ。
どこいっちゃったんだろう?僕の赤茶けたボディの素敵なショットがあったはずなんだけど。

あと、新宿屋根裏部屋へのバスツアーも楽しかった。
旅行代理店がスポンサーになり、連中の対バンのためにファンを集めたバスツアー組むなんて、やっぱバブルだよね。

夜の部にオープニングアクト扱いじゃない枠で出演したのって、仙台からは2バンドめだったらしいよ。
あの時は大阪のKングサイズと東京のBレットが対バンだったけど、盛り上がったなぁ。
僕もたまたま見に来てくれていた鼻田さんに触られて、いい思い出になったぞ。

デビュー前のPeezとかSpatsとかの面倒も見ていた新谷さんに気に入られなかったら、こんな対バンも実現しなかったんじゃないかな。
あの超満員のDac Hallに来てくれたのはラッキーだった。


あ〜あ、振り返るとキリがないね。
メンバー同士の仲違いとか音楽的方向性の違いとか、いろいろあったんだと思うけど残念だよ。

だからオファーきた時にデビューしとけば良かったんだ、変に突っ張らずにさ。
出来レースのオーディションだからって、断る必要なんてなかったんだ。
青かったんだよ、連中は…音楽至上主義だなんてさ。60年代じゃあるまいし。


しばらく僕はリハスタやステージ上の空気を吸えないのかなぁ〜?
最近はギタースタンドに置きっ放しにされてるから、埃がたまって仕方ないんだよね。
AC30君なんて息苦しそうなケースに入れられて、このところ顔も見てないよ。元気かな?

ま、でも、始まったものにはいつか終わりが来る、っていうのは世の常だからね。
終わったということは、また始まるってことでもあるし、もうすぐロンドンに連れてってくれるって言ってたから、あきらめるか。

僕も大人になったな…少しは…


あっ、最後にひとつだけ。
いい加減、ケースに貼ったトリコロールのステッカー、剥がしたほうがいいんじゃない?



続く。。。
by higehiro415 | 2010-09-17 13:50 | 物語