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佐藤ヒロユキ。仙台在住のMOD音楽職人(サウンドエンジニア&プロデュース/レーベルなどやってます)アナログレコード好き1963年生まれ。GROOVE COUNCIL代表。http://groovecouncil.jimdo.com/


by higemodern
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40日

あの日から40日が経った。その時間経過の感覚が早いのか遅いのかはなんとも言えないが、とりあえず僕の記憶はまだ曖昧模糊としたままだ。

仙台市中心部の商店街は全部とはいかないが多くの店が営業を再開し、飲食店もガスの復旧とともに通常に近いメニューが出されるようになってきた。
在来線の一部と東北自動車動と仙台空港の一部も復旧したので、あとは新幹線が今月末に走れば何となく普通の日常が戻ってくるような感じもある。

但しこれは被災していない人だけが持ち得る感触だ、というのは肝に命じておかねばならない。
人は順応性が早いという優れた性質を持つが、震災のことだけは常に胸に留めておく必要がある。

4/20現在の宮城県の死者は8,487人(行方不明7,724人)、ガスは被災区域以外復旧したが停電は約8万戸、仮設住宅が建ち始めたとはいえ不足や遅延のためいまだ4万人の人たちが避難したままである。

そして気になっていた仙台市内の会館(ホール)の実態が今日公表されたのだが、天井が落ちたり壁が剥がれたりヒビが入ったり、スプリンクラーで音響・照明機器が使用不能になったりと、被害は話に聞いていた以上に大きかったようだ。
年内は仙台市内での大きなコンサートは難しいかもしれない。大変だと思う以上に自分の仕事場となってきた場所の悲惨な状況は、とてもショックだ。

また被災地区の人から、物資はずいぶん入ってくるようになったが今はとにかく瓦礫を片付けないと何も始まらない。しかし人手が足らなくてあと何年かかるのだろうか?と不安になると聞いた。実際片付けるだけでも2年はかかると言われている。

それと懸念していた通り、小さな会社は経営状態が悪化している。僕の知り合いなども仕事がまったく無くなり、お金を借りに銀行や金融公庫に通い始めた人も多い。何とかしたいが何ともならない八方塞がり感も漂う。


それでも明るい材料も、もちろんある。
街をあげて行われるイベントのうち、とっておきの音楽祭(身障者と健常者が一緒に音楽を奏でるイベント)、せんだい七夕祭り、定禅寺ストリートジャズフェスティバル(中心部の至る所200ヶ所以上で700もの出演者が思い思いの音楽を奏でる大イベント)は開催の方向だという。
ライヴハウスも今週あたりから5ヶ所が稼働する。

29日には仙台を拠点とする東北楽天ゴールデンイーグルスとベガルタ仙台が、ようやくホームゲームを開催する。これは子供から大人まで多くの市民・県民が待ちに待ったもので、多くの人に元気を与えるだろう。


僕はといえば4/17にようやくPAサウンドエンジニアの仕事復帰ができた。
これは下北沢Club Queで行われた浅田信一&リトルメランコリーズ(ハックルベリー・フィンとの2マン)だが、何というか感無量だった。

震災前から予定されていたものだったが、こういう状況で行こうかどうか迷ったのは事実である。でも今月頭に信ちゃん(浅田信一氏)から「無理せずに。でも会えたら嬉しい。」という連絡をもらっていたし、自分自身の不安な気持ちを消せるのではないかと思い行こうと決めた。

1ヶ月半も音を作っていないということもあったが、何より仲間に会うことが楽しみだったし、東京で心配してくれている人たちに元気な顔も見せたかった。
4月に入りさすがに自分の頑張りも限界にきつつあり、今後のことも含め心が折れそうになっていたのも事実なのだ。

念のために前日入りした。盟友と近況報告や震災や原発や政治や仕事の話などしながらScotch Whiskyのロックを酌み交わした。自分の中の何かが軽やかに弾けて、視界良好になった。


さて肝心の本番の音だが、来ていた森山公一くんによれば、信ちゃんをよく理解している音だったらしい。抽象的だなぁ(笑)。高橋くんはナイス!とだけ言ってくれた(笑)。達ちゃんは「ヒロにぃ〜!」の一言だ(笑)。果たしてどうだったのか自分ではよくわからない。

ステージのサウンドに聴き入り、久々の作業に精一杯でいつもの冷静さが足りなかったのは確かだ。その証拠にいつも記録のために撮る写メも忘れていた。
でもとにかくナチュラルに、歌がきちんと聞こえるように音を作ったつもりだ。

それでもいつもの仲間がステージで演奏し、熱を帯びたオーディエンスがフロアにいて、それを見守るように後方のPA席で僕がサポートするという構図。
あ〜この感じだよなぁ〜と、しみじみしたし、やっぱり自分はここにいなくちゃいけないとも感じた。自分の居場所の確認ができた。

それにいつもの顔に多く会えて嬉しかった。元気をもらった。気温もそうだが、みんなの気持ちが温かかった。お陰で、打ち上げでの酒がすすんでしまったではないか。


行きは高速バスだったが帰りは新幹線で福島まで行きその後在来線に乗り換えて戻った。
新幹線は自由席のみということで東京駅のホームは列が出来ていた。それに気付かないのか横入りする人が何人かいて、誰も何も言わないので僕が注意した。

これまでの自分だったら、こんにゃろ〜と思いながらそのままだっただろう。でも今は違う。
僕の後ろに並んでる人たちのことを考えると注意せずにはいられなかった。自分の中で何か変化があったのだと客観的に思った。

仙台に戻ると、街中と沿岸部の様相も人の行動もギャップはやはりすごい。正直、気が滅入る。
でも充電してきた元気や勇気を、今度は僕がまわりに見せる番なのだ。


サウンドエンジニア仕事は相変わらず無くなったままだが、これを機会に時間をみつけて瓦礫の撤去作業の手伝いに行こうかとも思う。
もちろん、音楽を通じて世の中に元気と癒しを放出する!という信念は持ち続けているが、それでも状況は、そんなことばかり言ってはいられないとも感じるからだ。

ゴールデン・ウィーク後半は北海道ツアー(坂本サトル氏)の仕事が予定されているが、楽しみに待ちながら今は目の前のやれることを、ひたすらやろうと思う。

本当の春は、これからだ。
by higehiro415 | 2011-04-20 22:28 | 日記