佐藤ヒロユキ。仙台在住のMOD音楽職人(サウンドエンジニア&プロデュース/レーベルなどやってます)アナログレコード好き1963年生まれ。GROOVE COUNCIL代表。http://groovecouncil.jimdo.com/


by higemodern
カレンダー
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31

新たなる航海。

12年間というのは長いのか短いのか判断に迷うところだが、とにかく所属会社を6月いっぱいで辞めた。

人生初の退職届けを出すという円満な自主退社ではあるが、思うことはいろいろある。
これまでの僕の仕事ぶりをみて「会社に勤めてたの?」と驚く人もいるくらい自由にやらせてもらったし、仕事柄時間の決まった業務形態・内容ではないので、きっと会社員っぽくはうつらなかっただろう。しかし、これでも歴とした部長職だったのだ。

所属していたのは社員30名ほどの仙台の小さな制作会社。会長は宗さん(さとう宗幸)で、主にテレビ・ラジオ番組制作のディレクター集団だ。東京にも支社があり、そちらはNHK本局でMLBやら大相撲中継やらの制作をやっている。
その中でラジオ制作(主にエフエム仙台)を中心に、PA(音響)やらプロデュースやらを続けてきたのだった。

立場上、会社全体の運営戦略を練ったり新人採用の面接をしたりはしていたが、テレビやラジオの業種以外も手掛けていた人間は社内じゃ僕しかいなかったので、部下はいるが音楽の仕事に関してはたった1人でという不思議な感じで存在してきた。

辞めた経緯は簡単で、夢を貫くためである。
もともとここ数年は不況の波が放送業界をも襲ってはいたので遅かれ早かれではあったのだろうが、3.11の震災で多くのスポンサーが降りてしまい、いくつかの番組がこれまでと同じ状態では続かなくなるという事態になった。
スポンサー収入が減れば当たり前のように制作費がカットされるので、仕事内容や番組の善し悪しとは無関係に、僕のような外部の制作マンはいち早く削減の対象になる。

簡単に言えばそんな訳で担当していた番組が7月以降がっちりと減ってしまうことになり、所属会社としてはその分をテレビ制作のほうで補填して欲しいという話になった。
安いとはいえ一定額の給料を毎月もらうという魅力はあったが、いまさらテレビの仕事に意欲を燃やせるとは、どう自問自答しても前向きな答えは出なかった。

25年間、精力や時間やお金を注ぎこんで、腕を磨き追求してきた音楽と音のスキルを捨てて他のことに方向転換することは、きっと自分の気持ちに嘘をついてこの先生きていくことになる。
あと10歳若ければ、それも仕方なしと新たな職種に精を出せたかもしれない。しかしあと2年で50歳という自分の年齢を考えると、今は安定を失ってもこれまで培ってきた大切なものを発展させていくことに意義があると思えて、こういう形になった。

震災後に東京へ行って仲間と飲んだ時に、これからは本当に大切な人とだけ仕事していきたいよねと話したが、それは本当に心からそう思う。
それを実践していく機会がさっそく巡ってきたということだ。会社にいればそうはいかない。

この12年間も含め多くの仕事と出会いから学んできたことを、今後は大切な仲間や音楽に還元していくのが自分のこれからの役目なのだと、感じている。

今後はフリーという名のもと、音楽をもっと自由に楽しみながら広げていければと思う。
以前から考えていたことが少し前倒しでやることになっただけなのだ。
具体的なことは近いうちに整理するが、いいと思える音楽を僕にしかやれない形で関わっていくというシンプルな構想だ。

まずは今お手伝いしている地元アーティスト(幹、The黄昏カラアズ)をより強力にサポートすること。
レーベルを作るのもいいかもしれない。夢は大きく昔のMotownのように存在感と個性があるサウンドプロダクションを確立させられたらいいな。

そしてサウンドエンジニアとしても、ただのPA屋さんとかではなく、そのミュージシャンに信頼されその人に欠かせない音が作れるように更に腕を磨いていきたい。

もちろん機会があれば番組制作だってやるし、これまで同様に選曲もやっていくので、これまでと大きく変わらないというか、むしろよりピントが合ってくるような気がしている。

今後の現実はかなり厳しいだろうが、まずは自分を奮い立たせて荒波に立ち向かうのみ。
期待7割、不安2割、恐怖1割が今の偽らざる心境だ。

これからもよろしくお願いします!

f0210751_829085.jpg
[PR]
by higehiro415 | 2011-07-04 08:34 | 日記