THE COLLECTORS:古市コータロー50thバースデーライヴ開催に寄せて
2013年 09月 03日
数日前、帰りに時間があるなら北上に付き合ってくんない?というメールが、コータローから届いていたのだ。
盛岡から北上まではおよそ1時間。ご機嫌なBGMを聴きながら軽快に車を走らせる。
「あの時もさぁ、佐藤クンが引率してくれたよねぇ…」
「憶えてんの?あの時のこと。」
「もちろんだよ!」
「あんまり言わないから、忘れたか思い出したくないもんだと思ってたよ(笑)」
「いやいや。まぁ、おれもそういう歳になってきたってことよ(笑)」
その照れ隠しが妙に彼らしい。僕はそれ以上突っ込むのをやめ、あの時のことに想いを馳せる。
助手席のコータローは遠くの空を眺めていた。彼の場合はあの時を遥か通り越し、多感だった少年時代の自分自身を見つめていたのかもしれない。
あの時…それは1991年、ザ・コレクターズのCollector Number.5ツアーの最中。
当時の彼らは大きいバスみたいな楽器車でツアーを回っていて、さながらMagic BusでのMagical Mystery Tourを地でいっていたのだが、青森でのライヴを終えた翌日、仙台までの移動日のことだ。
「せっかくだから北上で高速下りてさ、その高校見て行こうよ!」
「佐藤クン、ずっと気にはなってるから見て行きたい気持ちもあるんだけどさ。いろいろ複雑なわけよ。おれの岩手時代はさ。」
「でも気になってるなら寄ってみようよ。スッキリするかもよ。」
同乗していたメンバーも、遠足気分で同意する。
「もう10年前でしょ。ちらっとならいいじゃん。行こうよ、コータロー君!」
「そうだなぁ。ま、校門の前ぐらいなら通ってもいいか。」
観念したのだろうが、まんざら悪い気もしないといった表情だった。
車内で何故そんな話題になったのかは記憶が曖昧だが、とにかく僕らは岩手の北上で高速を途中下車し、古市コータロー少年が訳ありで高校時代を過ごした場所へ寄ってみることになったのである。
彼と岩手・北上の関係を、僕はこの時に初めて知った。まぁ、そういう事実があったのだということだけしか聞かなかったが、細かいことは本人の胸の奥底だし、他人には到底理解出来ない感情や葛藤があるだろうという予測しかできなかった。
【何があったのかはエムオン・エンタテイメントからこの春に出版された『14歳』(著:佐々木美夏)に記されている。本人の言葉で語られた、微妙な時期というニュアンスが垣間見られるはずだ。】
この頃はまだカーナビなど無かったので車にはたいがい地図が積んであり、僕らはそれを頼りにその高校を目指す。
目的地がだんだんと近付いてきて「そろそろじゃない?どうせなら先生に挨拶していこうよ!」などと盛り上がる僕らを尻目に、コータローはどこかそわそわし始め、学校が視野に入ると「やっぱ、やめよう!」と言い出した。
本当に嫌だったのかそれとも恥ずかしかったのか、きっと両方の気持ちが入り交じっていたのだろうが、このまま仙台へ向かおうと言い張った。
「え〜っ。せっかくここまで来たのにぃ。」
「だってさ、おれ勝手に高校辞めてバッくれたし、先生だって憶えちゃいないよ。」
これは照れ隠しではないだろう。もし憶えていてもらえなかったら彼の青春時代が否定されるような、悶々とした日々が無になってしまうような、そんな怖さがあったのかもしれないなぁ〜などと、今となっては想像する。
それでも酷なことに、楽器車は校門の脇に停車した。
「そのお世話になったY先生、まだここにいるかどうかだけ確かめてくるよ!」
僕は車を降り、早足で職員室の受付窓口へと向かう。
「すみません。ちょっとお尋ねしたいのですが、Y先生はいらっしゃいますか?」
「はい。おりますが・・・。あの〜、どちら様でしょうか?」
「え〜っと、ここの卒業生なのですが、近くを久しぶりに通りかかったもので。」
嘘が下手だったのかあきらかに不審な目で見られたが、ここまで来たら引き下がれない。
「いま体育館におりますので、少しお待ち下さい。」
5分も経たないうちに、体育館のほうから50歳くらいと思しき男の人が歩いてきた。
僕は駆け寄り声を掛ける。
「お忙しいところすみません。Y先生ですか?」
「そうですけど、君が?卒業生?」
「いや僕は違います。あのぉ...」
何故か僕の心臓はバクバクと音を立て、それはヘビメタばりに低音が効いていて張り裂けそうだ。
「10年ほど前にこの学校にいた古市って生徒、憶えてますか?いま校門のところに…」
言い終わる前にY先生は一瞬目を丸くして、そしてすぐに懐かしそうな優しい目をした。
「古市!って。耕太郎のことか!?」
校門のほうに目をやると、メンバー全員が車の外に出て心配そうにこちらを見ていた。
僕は思いっきり手招きする。
コータローがはにかみながらこちらにやってくる。
「Y先生、お元気そうで。その節はお世話になりました。ご無沙汰してすみません。どうにかミュージシャンで喰ってます。」
頭を掻きながら潤んだ瞳で、そうはっきり言った。
Y先生は「そうか。音楽やってたか。よかった。」と、目に潤ませながら返事をする。
僕はホッと安堵したような、それでも心のどこかで、本当に来て良かったのか自問自答を繰り返す。大人になっていく過程で、区切りをつけることは大切だと思っていたが、果たしてそれが今の彼にとって必要だったのか?余計なお節介だったのではないか?
ぼんやりと考える横で、ポスターを渡したり芸術鑑賞会にコレクターズを呼んでくれ(笑)とか、よくカレーをご馳走になったとか、昔話などの会話も聞こえた。加藤クンは自分が生徒だったかのように楽しげに喋っている。しっかり目は赤くしていたけれど。
途中、女の先生が通りかかって驚く。「古市くんじゃないの!?まぁ〜(涙)」
そんなやりとりを見て、ま、悪くはないかと納得したのだった。
以上が「あの時」の出来事である。
話を戻そう。
今年の3月、北上に立ち寄った僕らは商店街を歩いた。コータローに「ここはオレがいつも学校さぼってギター弾いてたとこ」とか、「たむろしていた喫茶店、田園。ここにレコード置きっぱなしなんだよな」とか説明を聞きながら。
昼飯は懐かしの店JUMPでスパゲティーを食べたい(これが北上立ち寄りの最大の目的だったのだが)というので店の前まで行ったが結局定休日で、「ま、次回にとっておけってことかなぁ。」と別の店でハンバーグをきめる。
そしてこの時の北上行きには、実はもうひとつの目的があった。会場の下見である。
下見といってもライヴが決まっているわけでもなく、ただ3年くらい前から「いつか北上でライヴやれるといいねぇ。」と話していたのだ。
しかし実現はしなかった。しなかったというより、本格化しなかったと言うべきか。
北上でコレクターズがライヴをやる意味は、やはりコータローの凱旋しかないからだ。
何せあの22年前の高校来襲(笑)からこれまで、コータローが北上時代のことを積極的に話す光景に、あまりお目にかかったことがない。
封印していたわけではないのだろうが、ここからは僕の勝手な推測に過ぎないけれど、やはり北上での生活を思い出として素直に受け入れられずにいたのではないだろうか。
それに、苦労話なんてロックじゃねぇ、とか考えているに違いない。
両親を失ったうえ、生まれ育った東京での思い出や友達とも引き裂かれ、言葉も文化も遊び場も、すべてが違い過ぎる北上という田舎に来ざるを得なかった古市少年の気持ちは、他人がどう推し量っても計りきれないものがある。
彼のことだから恨んじゃいないだろうし、逆にそれをバネにしているのかもしれないが、どうしたって甘酸っぱい思い出とは質が違うのだと思う。
それでもここ1年くらい、何かが吹っ切れたような発言が徐々に聞けるようになっていた。
例えば法事か何かでようやく1人で北上に行き、昔食べたラーメン屋があって嬉しかったとか、あの時代がなければギターなんて弾いてなかったかもなぁとか、おれには東北の血が流れているとか、北上展勝地の桜は最高に綺麗だとか。
まぁそれを、時代の流れとか歳を取るとかいうのかもしれないが、これこそがタイミングというものなのではないか。
そして来年には彼も50歳(自分を棚に上げ、信じられない!)になる。最大の見せ場が計らずとも巡ってきたのだ。
そんなこともあり、コータローから北上に寄ろうと連絡をもらってすぐ、市内で唯一のコンサート施設「さくらホール」に電話し、見学の約束を取り付けていたのである。
ここには3つのホール(大・中・小)があり、1つずつ見せてもらうことにした。
まずは小ホール。
平土間みたいになっていてキャパは200。北上でのコレクターズLiveの動員を冷静に考えるとこの規模だよねぇ、と話しながら広さや照明など確認する。
次に中ホール。完全なイス付きの会館仕様でキャパは400。
入った瞬間、僕らはニンマリと顔を見合わせた。「ここ、最高だね。全体の感じもいいし、なんかイスの色もMODっぽいよね。」
会館の人に訊くと、(動員は苦戦したらしいが)最近ここでやったロック系はCharさんだという。
続いてキャパ1200の大ホール。ここは単に参考までに見させてもらっただけだ。きれいなホールだねぇなどと言いながらも、気持ちはさっきの中ホールに釘付けだった。もう一度中ホールに戻る。
「コータロー、ちょっと広いけどここでコレクターズってのはイカすよ。音はPA機材を持ち込めばバッチリだし、照明も映えそうだし、今のライヴのスケール感にピッタリだよ!」
「うん。ここで演奏できたら最高に気持ちいいだろうなぁ〜」ステージに立ちギターを弾くアクションをキメる。
これまで漠然と言い続けてきた北上ライヴが、現実感をもってグイッと目の前に迫ってきた瞬間だった。
その言葉を聞き、誰が何といおうと個人開催してでもやらせてあげたい!と強く思う。
僕らは期待に胸を膨らませながら、ホールのパンフレットと料金表をもらって帰った。
それから1ヶ月くらい経ってVintage Rock(コレクターズのツアー制作をしているイベンター)から「コータロー君からいろいろ聞きました。来年のバースデーライヴを北上で打とうと思うので、スケジュール他もろもろ協力よろしく!」という連絡が入り、念願の北上ワンマンライヴがようやく実現することに決まったのだ。
ちょっと長くなってしまったが、来年5月10日(土)の岩手・北上市文化交流センターさくらホール(中)でのザ・コレクターズ__古市コータロー50歳バースデーライヴは、単なる記念とか故郷に錦を飾るとかではなく、そんじょそこらにはない強烈に深い意味とドラマと夢がある。
彼にとっては22年前から、いや35年ほど前からのThe Long and Winding Roadの到達地なのだ。
さらに「あの時」をメンバー全員が共有しているのだから、伝説のライヴへの序章は完璧である。
それに多くを語らず開催に踏み切った事務所やメンバーやイベンター、すべてに彼への愛を感じるではないか。
早々にスケジュールを発表したのも、これを見逃せないと感じるファンの方々が予定を立てやすくするための優しさだろう。
もちろん僕はPAや現地スタッフの手配など全力でサポートさせてもらうし、最高にカッコいい音を出せるよう策を練るが、何よりこの日を見届けたいというかその場にいたいというか、そんな気持ちが強いのも確かだ。
いろいろ洗いざらい書いてしまい「佐藤クン、ロックじゃないねぇ〜」と言われてしまうかもしれないけれど、思い出をひと回りもふた回りも乗り越え、因縁の地でギターをかき鳴らし、少年の頃の自分に(ということは今の自分にということだ)落し前を付けるという超リアルな状況は、ロックどころかパンクじゃないかと思うのだが、どうだろう。
ダメだ。想像しただけで、すでに泣けてくる(笑)
追記。
この文章を読んで下さった方々から多くの反響をいただき、感謝しています。
中には、そんな特別なライヴに私が気軽に参加していいものか?という感想もありました。
しかしこのドラマはあくまで本人のものであり、僕らの役割はそれを応援し見届けることだと思っています。
だから深く考えず面白半分でも賑やかしでもいいから、多くの人が集まって単純にライヴを楽しんでもらうこと、それが一番なのです。
それがロックというやつです。
一緒に盛り上がりましょう!